それから23年が経った2年前の春。双子の娘が小学校に入学するので、1
0歳年下の妻・T美と共に私の母校である小学校へ行った。
そこで発表された娘の担任名と容姿に私は自分の目と耳を疑った。「Y子が
娘の担任かよ…」。妻も「Y子先生が担任だなんて…」と信じられない表情
をしていた。
実は、妻が小学校5~6年の時に担任だったのがY子というわけだ。因みに
妻の実家と私の自宅は、車で1時間以上離れている。私の住んでいる地方
は、県教委の方針で「僻地指定」されていて、採用された教職員は、最低3
年間はその地域にある学校に勤務しなければならないことになっていた。
さて、入学式も終わって、教室に入り、初めての学活が終わってからY子の
前に夫婦で進み出た。私が「先生、覚えてますか?××中学校で1年の時
に…」と言いきらないうちに、Y子は「あら、○○君なの、元気そうねえ」
と言ったが、その表情には私にしか分からない複雑さが見てとれた。
続けて妻が「先生、△△小学校で5~6年の時に先生が受け持った旧姓◇◇
T美です」と言うと、「まあ、夫婦揃って私の教え子なのね」と、2人の顔
を交互に見ながら不思議そうな顔をしていた。
Y子は、私と出会い、そして交わった「あの1年」だけしか僻地校勤務を経
験していなかった。それを補うべく、私の母校(僻地と行っても、母校の全
校児童は800人を超える)に赴任してきたのだ。
この時、私はPTAの役員になった。なぜならば、Y子が学校側の役員で、
その話し合いということでY子に逢う「口実」が出来ると読んだのだ。
また、学年が上になると、学校全体の役員までしなければならない等責任が
増すので、低学年のうちに引き受けてしまえば、後は廻ってくることはない
という話も聞いていた。
ほどなく、私は、学校から渡された書類に書いてあったY子の携帯電話へ
「個人的にお逢いしませんか?」という内容の留守番メッセージを入れた。
すると、その晩、Y子から「私も『あの頃』みたいにとは言わないけれど、
逢いたい」という電話がかかってきた。断られるだろうと思っていた私は、
その電話に驚いた。お互い、話しているところ等を見られたりすると非常に
マズイので、夜間にメールでやりとりして密会することにした。私は、妻に
ばれない様に、新たに「Y子専用」の携帯も買った。Y子も同じ様に専用の
携帯電話を買っていた。
さて、密会するにしても、平日の昼間というわけにもいかないし、夜遅くと
いうわけにもいかない。幸いにも、PTAの会合という願ってもない口実が
あるので、それを上手く利用することにした。
でも、最初の「再会」は、そうではない日にしたかった。そこで私は、妻が
旅行へ出掛けている日に狙いを定め、娘は、実家にいる私の両親に預かって
もらった。
その日、普段はまっすぐに帰る道を反対方向へ車を走らせた。待ち合わせの
駅に着くと、まだ、Y子が乗った電車は来ていなかった。Y子は電車でこの
街に通勤していた。
やがて電車が着いた。Y子は駅から出て来ると、やはり気兼ねするのか、周
りを気にする仕草をしながら、そそくさと私の車に乗り込んできた。
私は「先生、どこへ行きます?」と言うと、Y子は「案内通りに運転して」
と、私に指示をした。そのとおりに車を走らせると、いつしか県境を越え
て、隣の県に入った。人気のない農道みたいな道路を走ると、まばゆいばか
りのラブホテルが密集して立ち並んでいるのが見えた。
そこまで行くのには、高速道路を使うか、もっと早い道もあるのだが、Y子
は「後ろめたさ」もあるので、人目につかないルートを選んだのだ。
車中、2人は殆ど口をきかなかった。
一番新しそうなラブホテルへ車を入れ、キーを受け取って部屋へ向かう。
2人とも時間が限られているので、部屋に入ると、内装を楽しむ間もなく、
唇を重ね、舌を絡めた。私が「Y子…」と呼ぶと、Y子は「○○、逢いたか
ったわ…」と答えた。
私 「旦那とは上手くいってるの?」
Y 「まあね…。結婚した頃は、それこそホントに『毎日』だったけれど、
今ではもう、月に1回あるかないかよ、○○君は?」
私 「ウチは、ヨメサンがまだ30前だから、週に2~3回やってる」
Y 「いいわねえ、こんな『オバサン』じゃイヤでしょ?」
私 「そんなことないよ、だって『先生』なんだぜ。Y子、もしかして、
同僚と関係持っているとか…?」
Y 「ううん、でもね、最初は旦那だけでよかったけれど、ここ数年かな、
そんなことを考えたこともあるわ」
私 「やっぱりな。ところで、Y子の歳だと、そろそろ(教頭や校長等の)
管理職になるんだろうけれど、あれってさあ、聞いた話、推薦する校長と
『関係』しないとダメってホント?」
Y 「私もそういうことも聞いたことがある。でも、それは昔の話みたい。
今じゃあ、そういう噂はすぐに広まるからね。私の体、あの頃に比べて、
お腹は出てるし胸は垂れてるし、それにもう『上がっている』の。こんな
体でもいいの?」
私 「そんなこと全然関係ないよ。見なよ、俺のチンコ(勃起している様子
を見せつける)。それに『上がって』いてもY子はY子だよ」
Y 「有難う。あと10年早かったら、○○君の子供産みたかったな」
私 「ダメだよ、それじゃあ。不倫はよくないってば」
Y 「そうよね、赤ちゃん産めないけれど、思いっきり中に出して」
私は26年ぶりにY子の中へ分身をぶち込んだ。「あの頃」の様な締まりは
なくなっていたが、それでも子供を3人産んだとは思えないほどだった。
Y 「緩いでしょ」
私 「そんなことないよ。旦那に『開拓』された分、こっちも気持ちいい」
Y 「あぁ、旦那のよりも、やっぱり○○のオチンコって凄いわぁ。あっ…
私、もうイッちゃいそう」
Y子が我慢できない様子だったことと、妻が留守とはいえ、何時までも逢瀬
を楽しんでいられないので、私はY子の望む通り中へ発射した。
シャワーを浴びると夫にバレルのでは?と思ったY子は、汗をバスタオルで
拭っただけでそのまま服を着たが、私は、思いっきりシャワーを浴びた。
Y子は「このままズルズルと行きそうな気がする」とポツリと呟いた。
私は「それよりも、旦那にサービスしてあげなよ。でも、逢える限りは逢う
からさ」と、あの時と逆の立場になって諭した。
その言葉どおり、私とY子は会合を隠れ蓑に逢瀬を続けた。それでも妻は、
全く疑うことをしなかった。
というよりも、原則的にその会合に合わせて関係を持ち続けるということで
2人の間で話し合っていた。その後は、事前に入るラブホテルを決め、別々
にチェックインしたりしていた。
因みに、娘の同級生の母親の中には、妻と同じくらいの若い女性もたくさん
いたが、私の眼中にはなかった。というよりも、そっちの方がバレル危険性
が高いというのも事実だが…。
でも、運動会では、多くのパンチラや胸チラを存分に楽しませてもらった。
妻は気付いていたが、そんなに露骨な動きをしていたわけではなかったし、
暑かったので、自分も露出を多めにして他の父親の視線を感じていたそう
で、その晩は、「夜の大運動会」ということで、いつも以上に燃えた。
後日、Y子にその日の話をしたところ、「今時の親って、ホントにみんなそ
うなのね」と笑っていた。
さて、Y子とはそんな関係がばれることもなく2年続いたが、今春、僻地校
勤務を満了すると共に教頭として地元へ栄転していった。娘は「先生と別れ
るのはイヤ!」と泣いて駄々をこねて困らせていたが、Y子は「貴女たちも
お父さんもお母さんも先生の教え子だから、何時でも遊びにおいで」と、上
手くなだめていた。
このGWにでも家族をY子の自宅へ連れて行き、還暦を過ぎたという旦那の
顔を見てみたいと思っている。