私は何とか人並みに4年制の私立有名大学は卒業したのですが、オイルショ
ック
の後の不況で、思うような就職ができないで不幸をかこつ人生でありまし
た。
何度も転職しましたが、どこも長続きしませんでした。
仕事に愛着や情熱がもてないのも原因でしたが、何より困った習癖によって
失敗してしまうのです。
会社の女子社員の生理バンドや下着に関心があって、
どうしても確かめたくなってしまうために、いろいろ策略や悪事の結果
バレて首になってしまうのがほとんどでした。
今時、ゴムのついた生理バンドなどあるはずもないのに
特に私好みの先生を思い出すような女性に出会うと
もう、じっとしていられず、ロッカー漁りをやってしまうのです。
これまで警察ざたにこそならずにこれたのは、本当に幸運としかいいようが
ありません。
そんなお陰で女房も何人も変えてしまいましたが
どうにも会社勤めができず、自営で始めた健康食品の販売に
アルバイトできていた直子が、私の人生に同情して一緒になってくれまし
た。
私の習癖を理解してくれ未だに別れずにいてくれています。
娘もできました。19になりました。
直子はゴム貼りの黒い生理バンドを手作りし、愛用しています。
娘がそれを見つけ
『おかあさん、何それ?』と聞いたそうです。
娘には見たこともない不思議なものに思えたようです。
『お父さん、これが何よりも大好きなの』と妻はいったそうですが
父親のおぞましい習癖に嫌悪を抱いたようで
暫く口もきいてくれませんでした。
ところがある時、娘の友子が風呂上りにバスローブをはおって
テレビを見ていた私の前を何度か行ったりきたりした際
驚いたことに黒い生理バンドをつけていたのです。
私は吃驚して妻を窺いました。
キッチンにいて一部始終を見ていた妻はにっこり微笑んでいるようでした。
『一体、なにがどうなったんだ!』
妻は片目をつぶっていたずらそうに笑ったようです。
その夜、私は妻に友子に一体なにがおきたのか
しつこく聞きました。
その結果、多感な年頃だった友子は大好きだった父親の
いやらしい習癖に嫌悪を感じ顔も見るのもイヤというほど、私を避けまし
た。
ところがそんな習癖になった背景に
私の中学生時代の先生との熱愛があったことを妻が話したそうです。
もともと娘をとてもかわいがってきた私ですし
好きなことは何でもさせ、一番理解してきたはずでしたから
娘は考えを変えてくれたようです。
『お父さんって、可哀相な人なんだ』って、つぶやいたそうです。
その何日か後に
『私にお母さんのバンドみたいの作ってくれない』
といったそうです。
妻の直子は喜んで『いいよ』と昔スタイルの生理バンドを
手作りしました。
わざわざ黒い生理パンツの裏側に、当時と同じ材質のゴムが手に入らないた
め
日曜大工の店で入手した飴色の生ゴムが貼られているのですが
履き心地はめっぽう悪いそうです。
どういった気持ちで友子はそれをつけるようになったのか。
私にはまだ分かりません。
妻には、娘は異様なゴムのごわごわ感が今では
『何かそそられるよね』といってるようです。
そして時々、洗濯かごを漁ると
生理でもないのに着用し
ゴム部分に陰毛の切れ端が付着した分泌物がくっきり
マンコの形をうつしてくれています。
娘のマンコを直接でなく見るほうが、よほど隠微で興奮します。
薄暗い脱衣所で私がごそごそやっていることにも
妻も娘ももうなれたようです。
自分の娘のマン拓をじっとみつめ、そこを愛しそうに舐めて
全て嘗め尽くす快感はありません。
生ゴムの匂いやマンコの匂いが脳髄を強く刺激し
遠い昔に思いが走ります。
脱衣所ではさすがにペニスを扱くのはやめにしていますが
娘の生理バンドをこっそり自分の仕事部屋に持ち込み
思いっきりにおいをかぎ、先生を思い出しながらのオナニーは
どれだけやったでしょう。
今では妻と娘が素晴らしい理解者で協力者です。
先生から教えられた習癖は今でも脈々と生きています。