仕事。まずは仕事。そしてその仕事を、、、どこでする。大阪か。それともまた東京へ行くか。。。。もう親父のところへは行けない。かといって確執状態の母親のところに戻る訳にもいかない。何人か、東京のホスト仲間を当たってみよう・・・。そして俺がたどり着いたのは、埼玉浦和駅に住んでいるホスト仲間の家だった。こいつはホスト業界でそこそこ有名であり、なにより女よりも男のほうに好かれているんじゃないか。っていうくらい、気前のよい男だった。俺はそいつの家に上がり込み、(水商売してたら一緒だ。車の免許を取った意味がない)その考えのもと、俺は(大工・・・・もう一回やるか)と、結局、大工と水商売しか知らない俺は消去法で大工を選んだに過ぎない。しかし、務めた先にいい出会いがあった。そこの親方は年齢が37歳で若い人だったが、背中に和彫りがある元ヤクザモンで、俺の面倒をよく見てくれた。趣味も旧車が好きということで、俺と気が合った。俺は大工の仕事はできないが、水商売の底辺の生活で培った、人より早く現場に着く。(今でもやってる) トイレ掃除や、ゴミ出しを率先してやる(今でもやっている)この2点だけは徹底的にやってのけた。すると親方から俺はかわいがられ、いろんな現場に連れて行ってもらい、何より、「大工っていうのはな、頭をつかうんじゃ。ただトンカチ叩いてたらいいってもんじゃねーぞ!」と、叱咤激励を受けながら、「ハイ!!!」と俺は厳しくも温かい親方の元で必至のパッチで仕事をした。気が付けば、俺はいつしか難解な建築図面も読む事だけは出来るようになり、親方からも簡単な現場なら任せてもらえるようになった。家も敷金礼金0の、六畳一間のボロアパートに住み、とりあえず誰かに寄生して生活するということはなくなった。とにかく、仕事をしている間だけが、唯と連絡が取れなくなったかな悲しみと、寂しさを忘れる事ができた。仕事をしている間が一番俺は嫌なことを忘れる事が出来たのだ。すると月日が経つのは早いもので、気が付けば唯と連絡を取らなくなって1年半が過ぎていた。このまま何度も唯の事はあきらめようかと思た。でも、時折夢に出てくる夢の中の唯の姿を見る度に胸が苦しくなって(目的を忘れちゃいけない。)と自分に言い聞かせた。そんなある日。。。俺が親方と現場が終わって浦和にある俺の家に送ってもらう帰り道。親方が「ちょっと寄り道していいか?」といったその先は、1階建ての元婦人服店。ここの店主が店を閉めたので、建物を資材置き場にするために買い取った。とのことだった。そして親方はここを、資材置き場として買い取ったはいいのだが、この建物にまずなにを搬入するか。。。という現場の下見だった。俺は親方に、「高いんですか?」と聞くと、「そりゃ、オメーの給料で考えたら高いだろうよw」と鼻で笑っていた。そして親方は「しっかしな~、、こんな(高低のない)ぺっちゃんこの床だったら、逆にどう使うかセンス問われるよな」とつぶやくのである。(これだけの敷地面積、、そして1階のみという建物。。ぺっちゃんこの床・・・・バリアフリー!!!バリアフリーだ!!!!)今から帰ろうと車の運転席に乗りかける親方に、俺は背後から声をかけた。「親方。俺の話を聞いてください!」今までにない真顔と低い声で問いかけた。「なんだ、いきなり」という振り返る親方に、俺はガバッ!!と土下座し泣きそうな悲鳴まじりの声で言った。「この建物を俺に譲って下さい!!!! 俺、この建物を自分でなおして、全部バリアフリーにして、車椅子で生活している唯の為に・・高さの無いキッチンがある家を作りたいんです!!!!」すると暫く沈黙した親方は口を開いた「順序だてて話せ」それから俺は小学校の時の事、今までの人生、唯との再会の事、そして唯の親父の事、親方に拾われた事。全部を赤裸々に話した。「・・・・。わかったよ・・。そのかわり長いローンになるぞ。逃げるなよ?。。。 よし。総がかりじゃ。これを機
...省略されました。
いや~一気に読んじゃいました。引き込まれました。自分も建築関係なので、環境や境遇が自然に入ってきます。やっぱり人と人の繋がりって大切ですね~見返りを考えないで動く事の大事さ等を再認識した話ですね。ありがとうございました。