元々モテるタイプではなく、高校はほぼ男子ばかりの工業校で就職先も工場では、女性との出会いのチャンスはなかった。もちろん、喉から手が出るほどやりたい時期はあった。異性との交際らしい交際は二十歳の時、成人式で再会した中学の同級生とだった。初めてのエッチに期待に胸を膨らませて入ったホテルのベッドで、僕の体は大人の女性に燃え上がらなかった。緊張で萎んだのではなかった。豊かな胸に、黒々とした恥丘。男を誘うように濡れた肉の裂け目。それを目にしたとたん、どれも、何か違うと思った。僕の性癖を薄々感づいていた彼女の哀れむような、軽蔑するような目。その時、僕もはっきり自覚した。未成熟な女でなければだめなんだと。以前から、大人の女性より、小学校高学年ぐらいの女の子にドキッとすることが多かったのだ。もちろん、そんな子どもに本気で手を出したら犯罪行為だ。僕はその当時は規制の緩かったロリータものの本や雑誌で気持ちを抑え、ビデオが普及してからは無修正のものも手に入れた。ここ10年ほどはジュニアアイドルに入れ込んでいる。「男の人やったら、そういうお店とか行くん違うん?」キムラさんの問いに、僕は自分の性癖を正直には答えられなかった。「まあ、行ったことはあるけど、手とか、口とかで……」風俗は、職場の飲み会の後で、酔った勢いで一度ソープに行ったことがあるくらいだ。当時は確かトルコって言ってたっけ。「ふうん、そっかぁ」キムラさんの表情は少し嬉しそうにも見えた。「僕に縁がなかったんは、キムラさんの呪いやったんちゃうか」「そうや。わたしのこと忘れてたから、鉢巻きにローソク立てて藁人形に釘打っててん」キムラさんならやりかねないとは言えなかった。「で、キムラさんはどうやったん?」「わたしはねぇ……」キムラさんは思い出し思い出し、ぽつぽつと話し始めた。こちらに来てからは、僕のことをズルズルと引きずって、自分の殻に籠もっていたらしい。「妄想大爆発時代!」と、キムラさんは両手を挙げておどけていったが、辛い時期だったんだと思う。地元の金融機関に就職してからも恋愛する気にはなれず、「あまり可愛い方ではない」ので、職場関係では向こうからの誘いもなかった。しかし、田舎のことなので、きちんとしたところに勤めていると、色々と見合いの話が持ち込まれてくる。その話を断るのに、「約束した人がいるから」と断っていたらしい。それが、「大阪のヤスオカさん」と言うことだ。キムラさんは、それなりに若く輝いていた時期を、まるで白馬の王子様を待つ乙女のように、「いつかヤスオカさんが迎えにきてくれる」と、思い込んで、いや信じて生きてきたのだ。キムラさんの母親も、自分たちが離婚したせいで住み慣れた大阪を離れ、初恋の人とも別れなければいけなくなったことを思い、いつしか「ヤスオカさんが早く迎えにきてくれたらいいね」と自分をだますようになっていったのだろう。「お母ちゃんね、わたしとヤスオカくんがあの日エッチしたって、分かってたみたい」「えっ」「だって、スカートとか、服とかも汚れてたし、パンツにも付いてたって…… 引っ越してしばらくして、わたしが泣いてばっかりやった時、お母ちゃんが、わたしにごめんねって、そんな話してた……」僕がキムラさんを忘れて暮らしていた間も、キムラさん親子は僕がキムラさんを迎えに来ることを頼りに生きてきていたのか。「ホントに、待たせてごめんな」僕はベッドの上で土下座の格好になった。「ううん、気にせんとってね。分かっててんわたしもお母ちゃんも。わたしに縁がないのをヤスオカくんのせいにして逃げてたんやて。だって、わたしがヤスオカくんとこ逢いに行けば良いだけやったんやもん」キムラさんの顔は、ようやく重い運命から解放されたように、穏やかな表情だった。「でも、ほんまに来てくれた。こんな幸せ、絶対ないわ」中1の時は、向こうから来るならやっちゃえ的な性欲ばかりが先走っていて、キムラさんを好きとも何とも思っていなかった。いまは、すっかり体型も容貌もおばさんになってしまったキムラさんを愛おしいと思う。「けど、あのとき、こんななってたら大変やったやろなぁ」僕は、シーツを見ながらつくづく思った。キムラさんも、両手で自分を抱くようにして身震いしたが、顔はイタズラっぽく笑っていた。それから、僕たちはシャワーを浴びて、バスタブにお湯も張り二人で浸かった。キムラさんの上半身を、そこで初めて目にすることができた。たっぽりとした体型だが、座らない限り、お腹にはっきりとした段はない。胸は体型に較べて随分と小さめだが、そのおかげで年齢のわりに垂れることがなく、まずまずの形を保っている。
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