5:カラオケ大好き、A施設長(40代前半)
A施設長からプライベートでのお誘いを受けた私は、Aさんが大好きなカラオケに付き合う事になりました。
Aさんはいっても40代前半。私とさほど・・・歌の世界で言えば似たような時代を生きていたせいか、私にとっても懐かしい、昔の歌を聞かせてもらう楽しい時間を過ごさせてもらっていました。
そこで悪魔なのが。。。「飲み放題」っていうカラオケのプラン(笑)
どれだけ飲んでも酔わない。と自負するAさんは次から次へとお酒を注文し、もともと(酔わそうとしているんだろうなw)と分かっていた私もそれに付き合う事に。
ですが、アルコールの効きも正直なもので、途中から私も酔っぱらってしまったのです(笑)
酔わないと豪語していたAさんも、酔っぱらって途中からいきなり「俺の膝の上で歌えwww」と指示を出してくるようになり、私も「飲みすぎですよーw」なんて言いながらAさんの膝の上にチョコンと座る。
そして大黒摩季の「熱くなれ」という、懐かしい私が10代の頃だった曲を歌っている内に、膝の上に座っている私の胸をAさんは背後からモミモミしてきたのです。
私「こ、、こらww なにしてるんですかw」(といっても、これくらいしてくるだろうな。と覚悟しているので、そこまで嫌がる様子は見せません)
A「いいから・・ww そのまま歌って・・w」(むしろ、Aさんのほうが社会的な立場を忘れて、こんな行為をしている事にスリルを覚えている様子)
私はそれからも、軽く相手の手を払いのけるような素振りをみせながらも、ほぼ・・最後までモミモミされながら歌を歌い切りました。最後のほうはスカートの上からでしたが、アソコにも手を差し伸べてきました。
ただ、私もこの展開はあらかじめ予想していたので、歌の後半で、、マイクを通しながら「はぁっ・・!!」等と、オッパイ揉まれて感じてる声を出してみたり♪
相手、つまり私が感じ始めていると思えば、男の人は(コレいけるパターンだw)と思って大胆になってきます。Aさんの膝に座っていた私は、おしりの方でAさんの股間が硬く勃起してきているのをリアルに感じていました。
大黒摩季の熱くなれが歌い終わる頃には、Aさんの股間が熱くなっており・・・Aさんは自分の股間をもぞもぞと触れて何かしようと動いていました。(あそこを出そうか躊躇している様子)ですが、胸を触られて興奮してしまった。という演出の私は(酔っぱらってるとの相乗効果で)歌が終わるやいなや、、私のほうからAさんの股間をまさぐりだし、、一気にフェラをしてあげたのです。
正直言うと、半分が演技。半分が本気。そんな心境でした。しかし、Aさんからすれば、お酒を飲ませて女を大胆にさせるという古典的な作戦が、こうも見事に決まったとは。してやったりだったと思います。「酒を飲ませてちょっと胸もんだら、相手のほうから求めてきたよ。」そんな感じだったんじゃないでしょうか。
そして私はAさんをカラオケボックスの中でフェラを駆使して射精させてしまったのですw
そして、また歌いなおしの2ラウンドで、「自分が最も得意とする歌で得点を勝負する。勝ったら5万円あげる。まけたら今、はいてるパンツをもらう」という勝負をしたのでした。これも付き合いですね・・w
私は勝ったらうれしいし、負けてもそこまで損害じゃないので、普通に勝負したのですが、そこはたった2点の差でAさんが勝ちました。私はAさんに今日一日、はいていたパンツを目の前で脱いで上げ、差し上げる事になったのです。
そして、その日は帰り際にラブホに立ち寄り、、最後までしてしまったのはいうまでもありません。
そして、ここでも半永久的に私に便宜を図ってくれるお得意先が、また一つ増えた結果となりました。
6:ウィンタースポーツ大好きの大手総合病院院長の息子の若先生(30代後半)
この若先生はスキーが大好きで、誰でも彼でもスキーに誘うという性格の持主でした。ですが、誘うのは誰でも彼でも。。かもしれませんが、若先生がお金を負担してまで・・・というのは好みの女だけのお誘いだったのだと思います。
この若先生との最初の経緯は、仕事中は特になかったのですが、プライベートでスキーに行った時の話です。宿泊していた旅館で石狩鍋を食べながらお酒を飲んでいた時の話、宿泊していた旅館の温泉が別料金を出せば時間限定で貸し切り状態に出来るというプランがあったのです。
スキーが終わり、一緒に石狩鍋を食べていた時に若先生「貸し切り露天風呂いってみようかw」と言い出し、私も「まじですかー?w」なんて言いながらも承諾したのです(笑)
貸し切りの時間になったので、お風呂へどうぞ。と案内してきた中居さんに続いて露天風呂へと入っていき、ちょっとドキドキしたのは、もともと若先生とはそんな関係じゃなかったのに、目の前で服を脱いで(胸からバスタオルを巻いているとはいえど)裸の付き合いをするとは思ってもみなかったからです。きっとスキー宿の中居さんからは夫婦に見られた事だと思います。
そして露天風呂で二人で浸かっている時、リアルな若先生の言葉を言えば「ションベンしたくなってきたw」といい、風呂場の排水口でオシッコ始めたんです。そして若先生が「ナッツちゃんもしちゃいなよw きもちいよw」と言ってきたので、さすがに目の前でオシッコ(アソコは見られないにせよ)「お酒のんでトイレ近いし、、じゃ、私もやっちゃおうかなw」というノリでやってみたのです。
そして気が付けば。。。お互い、なにも意識していないフリ(紳士の素振り)をしているのですけど、、先生は先生で自分の身体を洗い、私は私で身体を洗っているのですが・・・最終的には先生は腰に巻いていたタオルを巻かなくなったし、私も私でオッパイ丸出し、アソコ丸出しの全裸で、それこそ夫婦のように「やっぱ露天風呂って気持ちいですよねw」と、ヌーディストビーチには行った事ありませんが、そんな大胆な(西洋的オープンスタイル?)状態になっていました。
結局、そんな事をやってしまったので部屋に帰ってからの行為はいうまでもありません。風呂上りの浴衣に着替えたまま、そのまま布団イン。結局、この日も最後までヤっちゃいましたw(顔は写さないという条件でハメ撮りもw)
そして翌日の最後のスキーの日も、山頂まで25分かかるゴンドラの中でスキーウェアの中に手をつっこまれてアソコを指で刺激されてイカされてしまい、帰りの車の中でも渋滞の途中でフェラを求められ、カーセックスまで発展しました。
結果・・・。ここでも半永久的に私に便宜を図ってくれるお得意先が、また一つ増えた結果となったのですw
他にも細かい事もあったと思いますが、今では思いつく限りの強烈な印象では以上のような事をしてきたと思います。
どれもこれもが、、パンチラ営業。そしてプライベートでのお誘い。そして・・お酒。そして最後に・・・。というレールを進んでいました。
自分でもあの時は異常(頑張ってた)だったな・・。と思うのは、営業車の中に着替えのスーツや下着類を2,3着くらい用意していました。理由はなにかと着替えるシーンが多いからです。
こんな事を影でやっているにも関わらず、会社に帰るときはいつもの紺のパンツルック姿。
ですが、営業成績はダントツで社内1位をキープし、「やっぱ美人営業には勝てないわw」と、同僚からもまさにコメント欄で頂いたセリフも頂戴するようになっていました。
もちろん裏では私の事を快く思っていないグループに「枕営業してるんじゃないの?」と言われていたのも知っていましたが、そんな事はどうでもいいんです。 膨らんでいく財布。目に見えて貯まっていく貯金。会社で堂々と肩で風を切って歩ける自分。バレる事のない枕営業になんの罪悪感も感じてはいませんでした。
ただ彼氏から「なんか最近、パンツ変えまくりじゃない?」と指摘されたときはさすがにドキッとしましたが。(笑)
そう思えば、彼氏には可愛そうな事をしていたと思います。そもそも、彼氏と付き合ったのが28歳の頃なので、交際期間はこの時で5年に達しておりました。
彼氏と付き合い始めたその時は、私は男性経験4人。5人目が彼氏でした。それから営業の仕事をして、仕事を辞めた38歳の誕生日を向かえる段階では、一気に男性経験は彼氏含んで12名に膨れ上がり、フェラした、あるいは下半身を触らせただけの相手の数なら20名近く記録しているかもしれません。(12名を含む)
最高記録で言えば、午前中に1人の人とHをし、午後でまた一人とHをし、仕事が終わってからは彼氏とHをし、1日で3度の相手を変えてHした日もあります。
ですが。。私の貯金額の数十万は、いっきに数百万になり・・。乗っている車も軽自動車から、車種までは言いませんが、それなりに良い車に乗る事が出来ました。
枕営業にまったく躊躇せず、罪悪感も吹っ切れた私。
まさに、感覚が麻痺する。いいかえれば「慣れる」つまるところ・・・「罪悪感が消える」これは本当は恐ろしい事なのかもしれません。ですが、慣れてしまい、罪悪感が消えてしまえば、なんてことはない。これも人間の不思議な部分なのだと今ではそう思います。
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