「簡単に言えば、露出を法で禁じなければ裸で生活をしてもいいことになる。
仮に日本中の人が全て裸で歩いてたらどうなると思いますか?公序良俗が乱れ
社会に秩序が保てなくなることが予想されます。国を統治する者はそれでは困
る。だから法で禁止するんです」、、、という馬鹿な意見ありましたよね。代
表的な意見だが、これでは納得できないしんさんの気持ちわかります。実際は
別にみんな裸でも何でも、誰も困らないし、それにより国の秩序が保てないな
んてこともないんです。それどころか、裸があたりまえになれば、おかしな性
犯罪は減少しますよ。ようするに法の自己増殖ですよ。政治は、古代から現代
にいたるまで、法を増殖させつづけてきた。つまらない些細な法まで作って、
自己の存在を確認しないといけなかった。権力は、それ自身が自己確認すると
き、強固なものになりたいときに、法を強化します。これはその過程で出てき
たものです。たぶん発生は西欧じゃないですか(司法関係者さん?)。例えば日本
は、江戸時代には銭湯での混浴というすばらしい習慣があったし、もろみえの
浮世絵という当時の世界最先端芸術もあった。それにより誰も困ってはいな
かったんですよ。またアマゾンの原住民の皆さんは、いまも裸で立派な秩序の
もと暮らしています。我々の社会が、彼らのものよりよいとはまちがっても言
えないでしょう。仮に法が露出を許したとしても、全員裸で歩くという意見も
あり得ない意見だ。寒かったら着る。これはね、法の問題ではなく単なる生活
習慣の問題なんです。その生活習慣にまで法が口を挟んできているだけ。着る
物を法で縛るのは、施政者の代表的なやり方です。これが異常な法の自己増殖
なんです。いいかえれば、見せたいという露出願望自体も、これらの法がある
おかげで存在しているんです。露出を禁ずる法自体が、露出魔を生んでいる。
禁止されていることをするのは法を破るスリルがあるからです。たとえばね、
もし服を着ることを禁じる法律が出来れば、服を着る男が変態の犯罪者とされ
るんです。みんなが平気で見せていたら、だれも露出願望はいだきません。司
法関係者さんの意見も読んでいますが、法体系内部にいるため、全体像は見え
ていたいと思われます