はじめに
義父から銭湯の経営を引き継いで30年以上、定休日を除いて毎日、夕方の時間帯と閉店前の遅い時間帯に番台に座った。
現在は廃業して、賃貸マンションの大家に納まっている。
銭湯の娘と結婚した後もサラリーマン生活を続けていたが、義父が病気で倒れたため、40代半ばでオフィスビルのデスクから銭湯の番台へ異動となった。
転職するとき、上司や同僚からは「代金を貰って女の裸が見られるなんてオイシイ仕事だな!」「俺もアルバイトで雇ってくれ!」などと随分冷やかされたものである。
当時、都市部では内風呂が普及していなかったので銭湯の需要は非常に高く、商売として十分採算が取れた。
若者が住むアパートも高級物件を除いて風呂がなかったため、役得で随分いい思いをした。
番台からは毎日、若い女性客の裸が見放題だった。
番台に座り始めた頃は裸の群れに圧倒されるとともに、目の当たりにする生々しい乳房、乳首、ヘア、尻に陶然と酔いしれたものだ。
黒いヘアの間にタンポンの白い紐が垂れている女性客もいれば、ヘアが薄くてワレメがくっきり見えている女性客もいた。
全裸になった後、床に置いた風呂の道具を取り上げるときとか、湯上り後のカラダを拭くとき、背中を番台に向けたまま上体を深く屈める女性客は多く、ラビアはむろん膣や肛門まで見えることもあった。
各家庭に内風呂が普及し、アパートにも風呂が完備するに伴って利用客が急減してきたため、10年ほど前に廃業。
建物を取り壊した跡地に賃貸マンションを建設し、私の座る場所も様々な女性客のなまめかしい姿態を堪能できた番台から殺風景な管理人室に変わった。
以下の雑文は廃業間もない頃に記したものなので、今となっては少し時間的ズレがあることをお断りしておく。
(続く)