67歳です。ここの露出画像や動画を観て、この歳でもまだ性的に興奮できることが嬉しい反面、皆さん若く綺麗で何より楽しそうという羨ましさと、若い頃に私も似たようなことをしていた懐かしさを感じています。
需要というのはないかもしれませんが、少しだけ、書きたくなりました。読んでくださったら嬉しいです。
当時男性は車を、不良ですとオートバイを、女性は、今なら膝丈程度ですがミニスカートを、夏に海でビキニを着ると家族連れは子供に見せないようにしていた、そんな時代でした。
ファラチオはアブノーマルで、夜の女性だけがする特別なことでした。
なのにSMや乱交パーティはあり、露出はその中の1つだったと思います。
私は露出に強く惹かれていました。
惹かれていた、では生温いかもしれません。
露出さえできるなら他はどうなってもいい、とすら思っていました。
実際、裏本と呼ばれるもののモデルになったこともあれば、警察の方にご面倒をおかけしたこともありました。
19歳の時に、演劇人、といっても過激で下品なことをして衆目を集める、それが認められたと誤解する類の人たちと知り合い、当時の私はそれに感化され、彼らの舞台に出たことがあります。
台詞はあってないようなもの。
私は、東京に来て騙され、落ちるに落ちたマゾヒストの役。舞台の上で全裸で縛られ、照明が当てられ、性器にコーラ瓶を挿入され、なのに喜び狂う女の役でした。
内容が内容だけに、1回限りのゲリラ公演で、本番当日も私は酷く興奮していました。
でも本番以上に、稽古の時のあの異常な空間が、今でも忘れられません。
稽古は5日間か6日間だったと思います。
初日は、私も普通に服を着ていたのですが、演出家の男性が、本番と同じようにしないと意味がないと言い出し、私だけ本番さながらに全裸にされ、縛られ、挿入されました。
稽古です。だから他の人は普通に服を着ています。裏方には同性もいれば、見学に来た人もいます。
周りは誰もが普通、なのに私だけ全裸で縛られて、それもコーラ瓶を挿入しやすいように、挿入されるところがよく見えるようにと毎日剃毛され、照明の光まで当てられている。そしてそのまま何分も、何十分も放置されている。挿入にローションが必要かどうか、見られ、触られたりもしました。それが事務的で、屈辱的で、気が狂いそうなくらい興奮していたのを覚えています。
その後も露出への執着はなくならず、乱交パーティやSMサークルに参加したり、知り合った男性と露出旅行をしたりしていました。
40代後半で大火傷をしてから、付き合いのある男性以外に肌を晒すことはしなくなりましたが、それでも、今でも人に裸を見られていたあの頃を思い出すと、酷く興奮してしまいます。
拙い話をここまで読んでくださって、ありがとうございました。