最後の話になります。
いやらしい話ではありません。
ごめんなさい。
その年の12月に入って直ぐ、お兄ちゃんから
「29日に仕事が終わったら、その日の最後の飛行機で帰る。帰ったらまさこちゃんをぎっと抱き締めたい。まさこちゃんの匂いを嗅ぎたい」と書かれた手紙が来ました。
嬉しくて嬉しくて、待ち遠しくてたまりませんでした。
私の方こそお兄ちゃんの香ばしい匂いを嗅ぎたい。
キスしてもらってお兄ちゃんの唾を飲ませて欲しい。
息が出来なくなるくらい強く抱き締めて欲しい。
ちょっと膨らんだ胸を大きな手でぎゅっと掴んで揉んで欲しい。
硬く尖った乳首も摘まんで捏ねたり、強く吸ったり、噛んだりして欲しい。
甘えん坊の私が逃げないように、厳しく縛り上げて欲しい。
お尻にも浣腸を一度に何個も注入して、私を泣かせて欲しい。
その後、お兄ちゃんの太い指をお尻に入れて掻き回して欲しい。
前の割れ目も、ぐいっと大きく拡げて、中を指で摘まんだり剥いたり散々虐めて欲しい。
興奮してくれたら、硬くて熱いお兄ちゃんのあれを、私の身体の奥にグサッと刺し込んで、激しく腰を打ち付けて欲しい。
射精したらゴムをはずした後のあれを、私の口できれいにさせて欲しい。
寒くてもかまわずに、弱い私を外で裸にしてお兄ちゃんの好きなだけ拷問して欲しい。
年末年始で忙しいだろうけど、一回だけでなく何回か可愛がって欲しい。
そして最後に「好きだよ」とか「可愛いね」とかちょっとだけで良いから囁いて欲しい。
こうやって言葉に書くと、とても中学1年生が考える事とは思えないような事を毎晩思い浮かべては自分の指で自分を慰めていました。
ところがお兄ちゃんは12月18日の日に、北海道で交通事故に遭ってしまったんです。
お兄ちゃんのご両親が直ぐに北海道に行きました。
最初は「意識がある。入院して治療を受けている」だったのですが、12月20日にご両親に看取られて亡くなりました。
知らせを聞いても、どうしても信じられませんでした。
遺骨になって帰ってきたのが23日、私の学校の修了式の日で、その日の夜がお通夜でした。
私の心の中では、まだお兄ちゃんが死んじゃったと言う現実を理解できて無かったみたいで、本当に悲しいと言う感情が湧かなかったんです。
それが母から「お通夜より一時間早く来るようにとご両親から電話があったから」と言われてから、お兄ちゃんの遺骨を見たらお兄ちゃんが死んだって認めてしまわなくちゃいけなくなると思い始めて、急に気が動転したようになりました。
お通夜に行くために学校のセーラー服を着てて、手が震えてセーラー服のネクタイを結べないんです。
母がそんな私にネクタイを結んでくれながら、「◯◯さん(お兄ちゃんの本名)とお前と肉体関係があったのを、あちらのご両親は知ってるからね」と言ったんです。
また大きなショックでした。
母は呆然となった私の制服の着付けを整えたり、髪の毛をといてくれながら「その事について何かお前も言われるかもしれないけど、それは仕方ないからね。あれだけ◯◯さんに良くしてもらったんだから、あちらのご両親にお礼を言わなくてはだめよ」と言いました。
その時は私の母が私とお兄ちゃんとの肉体関係をどうして知ったのかも考えるゆとりがありませんでした。
母に連れられてお兄ちゃんの家に行くと、お兄ちゃんから可愛がってもらったこともある裏にに面する一階の和室、二間続きの応接間にお兄ちゃんの遺影と遺骨が安置されていました。
ご両親が横にいる遺影の前で母と並んで座り、お兄ちゃんの遺影に両手を合わせたら、そんなに悲しいと言う感情にはなってないのに、涙だけ勝手にポロポロと落ち始めました。
母が拝み終わって再びご両親の方を向いたのですが、なぜか私はお兄ちゃんの遺影から目が離せずに、まだ拝み続けていました。
すると急に喪服を着たお兄ちゃんのお母さんが、座ったままの私に抱きついてきて、大声で泣き出しました。
それにつられるように、私も声を上げて泣き出しました。
やっとそれまで現実を受け入れられなかった心が素直になれたみたいな感じでした。
しばらくお兄ちゃんのお母さんと抱き合って泣いた後、私と母は二階の懐かしいお兄ちゃんの部屋に通されました。
私はそこでも泣き続けていたんですが、そこで私の母がお兄ちゃんのお母さんから色々話を聞いていました。
お兄ちゃんは病院に駆けつけたお母さんに、私との事を全部打ち明けて、アパートに私との想いでの品物が入ってる箱があるから他の人の目に触れないようにして欲しい、私にありがとう、ごめんと伝えて欲しいとお願いしたそうです。
お母さんは箱の中を一度見た後、火葬の時にお兄ちゃんと一緒にお棺に入れて焼いてくれたそうです。
箱の中には私の水着や汚れたパンツ等見苦しい物が入っていた筈でした。
やはりそんな品物を見ていたせいか、私に対しては「◯◯がごめんね。でも◯◯を好きになってくれてありがとう」と何度も言ってくれました。
49日の法事が終わった後ですが、お母さんと二人きりで話をする機会がありました。
「まさこちゃんはこんなに小さいのに、◯◯が変態みたいな酷い事もしたみたいね?それでも◯◯の事を好きになってくれて本当にありがとう。まさこちゃんから愛してもらったから、◯◯も幸せだったたと思うのよ」と言われました。
そして「まさこちゃんは◯◯の事をいつまでも引きずってはだめよ。これから素敵な男の人と出会ったら恋をして幸せになりなさい。」
と励ますように言ってくれました。
でも私のこんな書き込みからも分かると思いますが、私はやはり歪んでしまっていたんです。
普通の女の子のような恋愛はしたことがなく、一度は危ない性的な仕事もしたことがあります。
幸い一年程で抜ける事が出来、母の元に戻って見合いで夫と結婚しました。
もちろん夫は私とお兄ちゃんの関係は知りません。
正直言うと、夫は私の心の中では常にお兄ちゃんより下でした。
お兄ちゃんのご両親は、私が結婚してからも私の事を気にかけてくれていましたが、今から10年程前にお二人ともお亡くなりになりました。
今でも毎年、お兄ちゃんとご両親のお墓にはお参りしています。
長いこと書き込みさせていだいたのですが、私が自分で50年近く前の事を思い出しながら、美化したり、興奮したりでかなり不自然で変な表現があります。
それでも読んでくださった方に感謝します。
ありがとうございました。
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