下の毛を無くした姉は、家に帰ってもやはり気になるらしく、着替えの時などに、そっとショーツのゴムを緩めて上から無毛になったあの部分を覗いてみたりしていました。
今日は直接おじさんから私達がされたことではないけど、姉から経験したいやらしいことを先に書きます。
今は運動会、体育祭は春にする学校も多いようですが、当時は殆どの学校では二学期にやっていました。
二学期になり、私も姉も毎日学校で運動会の練習や準備をしていました。
姉の中学校と私の小学校で小運動会の日が重なりました。
これは本番の大運動会の前に、父兄を呼ばずにする全体予行練習のようなものですが、私達小学生は家から体操服の半袖シャツとブルマを着ていっていました。
姉も、上は半袖シャツの上から長袖のトリコットを着ましたが、下はブルマでした。
当時は体操の時は女の子は黒のブルマが当たり前でしたが、私が小学校に入学したころが、ちょうどだぶだぶの提灯ブルマから、お尻のシルエットがはっきり分かるショーツ型のブルマに変わったころでした。
小学生の時は能天気の私はあまり気にしていませんでしたが、小学生でもそんなブルマを「恥ずかしい」と思って、それを話す女の子はいました。
中学生になって男の子の目が気になるようになると、さすがに私でも、太股やお尻、そして開脚などした時の股間への男の子だけでなく、同性の女の子からの視線が恥ずかしくなりました。
もともと外では恥ずかしがり屋の姉は、尚更だったみたいです。
小運動会が終わり、私が先に帰って、お母さんがいない家の中で、まだ体操の服装のままゴロゴロしてたら、姉が帰ってきました。
姉の顔を見た時に、その日はおじさんの家には行かない筈なのに、姉の顔がうっすらと赤くなっていて、おじさんから拷問して可愛がってもらった時のような感じになっているのに気がつきました。
きちんとしてる姉には珍しく、掛け布団だけ出すと「和ちゃん、ちょっとごめん」と言って、体操服とブルマだけ脱ぎ、布団に潜ってオナニーをしました。
終わってハアハアしてる姉に「おじさんの家に行ったの?」と聞くと、「違うの」って言われました。
当時学校の校庭には、私達が指令台と呼んでいた、高さが1メートル弱くらいある鉄製の台が置かれていました。
朝礼などの時に、全校生徒が並んだ前で、先生がその台の上に立ってお話をするんです。
姉は生徒会の副会長で、生徒会長が挨拶をした後に、その台に立って、全校生徒に大会中の注意事項を話さなくてはいけなかったそうです。
「最初はそんなに気にならなかったのよ。間違えないようにって真剣だったから。」
「でも、ふと六年生の列の方を見たら、前の方の男の子が、じっと私を見てるの」
「あ、私を見てる、て思ったら急に..、あそこに毛が無くなってるのが気になり出したの」
「もちろん見える筈無いし、気づかれてる筈も無いってわかってるんだけど、なんだか全校生徒が知ってて私を見てるような気がしてきたの」
「そのうちね、おじさんの家で和ちゃんと一緒に見せてもらった写真で、奴隷市場で裸で台に立たされてる女の子のことまで思い出しちゃって...」
そんな風に私に話してくれながら、また姉の顔が興奮で赤くなってきました。
私も姉の話を聞きながら、「私が裸で友達とか皆見ている前で台に立たされたら..」と想像してしまいました。
甘えん坊だった私は、駄目で元々くらいの気持ちで「お姉ちゃん、お母さんが帰る前にレズビアンしようよ!」と言ってみました。
いつもなら「家じゃ、だめ!」とけじめをつける姉ですが、その日は先に私にオナニーを見られてるせいか、「ちょっとだけね!」と言って、玄関の鍵を確認してから裸になって抱いてくれました。
私が姉の毛が無くなった割れ目が見たいし、口でしようと顔を近づけたら、「お風呂入ってない。汚いからだめよ」と言ったのに、いつの間にか私の方が姉から、姉より汗臭くて汚いはずの割れ目を舐めてもらっていました。
終わった後に姉が私の割れ目をじっと見て「和ちゃんのここ、きれいだから良いわね..」と言ってくれました。
おじさんからの拷問の話でなくてすみません。
いつ頃されたことだったか、記憶が薄くなってた恥ずかしい方の拷問のことをかなり思い出してきましたので、次はそれを書くつもりです。
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