前の投稿の出だしで、姉と私が野外で大人に対する露出責めを受けたのではないかと想像された方がおられたら、大変申し訳なく思いますが、実際は見られた相手は私と同じ歳の子供でした。
後からの想像ですが、おじさんは入り江を隔てた堤防のある側の浜に、人が出て来て目撃されるまでは想定してたのかもしれません。
それなら、見つかったと同時に走って車に乗って逃げたら、間に合ったと思います。
さすがにあの急坂を子供が登り降りするまでは、おじさんも想像しなかったみたいです。
それでも、おじさんの話術とお小遣いで、あの子達は通報などしなかったと思います。
暑い夏には野外での恥ずかしい拷問が多かったと思われるかもしれませんが、実際はこの海でのことだけでした。
話を変えますが、おじさんの家の中で吊りをされたことについて書かせていただきます。
吊りと言うと、高い天井がある大きな部屋が必要と思われるかもしれませんが、おじさんがしてくれた吊りの殆どは、鴨居から吊られるものでした。
それも下にテーブルや台を置いて、その上に立ったり寝かされて、頑丈に縛られた後に台やテーブルをそっと外す、と言う方法が殆どでした。
私も姉も色々な吊りをしてもらいましたが、一番苦しいと言うか痛かったのは、両手をまとめて手首で吊るされる形でした。
これは鴨居からでは高さが足りないので、軒先から庭に張り出したように取り付けられた横木が使われました。
私と姉二人が一度に吊られた時ももびくともしなかったから、多分専門の大工さんなどに作ってもらった横木だと思います。
両手吊りをされた時は、手首には厚くタオルなどを巻いてくれて、上から縄を掛けられるんですが、全体重が手首に掛かり、あと肩や腕全体も引き伸ばされて痛みました。
意外に思われるかもしれませんが、一番苦しくない、痛くないのが、両足を揃えて逆さ吊りにされる形でした。
それは、両足の踝が合わさって縛られると、とても痛いそうですが、私達を吊る時はおじさんが両足の踝の間にもタオルを挟んでくれたせいか、全く痛くありませんでした。
ただ、あまり長時間すると、頭の方に血が下がるから危ないと言って、おじさんは時間に気をつけていました。
逆さ吊りで、両足を広げて左右に引き伸ばされるように吊られる形もあります。
割れ目が上から見下ろされるようになりますが、そのまま割れ目の穴などに道具で拷問されると、すごい残酷で恥ずかしい拷問のような気がしました。
私もお尻にディルドーとお尻用の細い方のバイブを入れられたことがありますが、姉はなんと火のついたロウソクを膣とお尻に入れられた人間灯台と言う拷問をされて、しかも何枚も写真を写されて時間がたち、ロウが垂れてるのを耐えています。
おじさんから「熱いだろう、もう少しだけ頑張って!」と言われて、恍惚とした感じで「私は..、平気..」と答えていましたが、その口調はもう普通ではありませんでした。
さすがに革製パンティと人間灯台は、小学生の私にはされませんでした。
胸やお腹、足首と何ヵ所も縄を巻いて、横向きに吊られる形もありました。
これも姉がされた時は、胸を下向き吊るされて、乳首に重りの付いた洗濯ハサミを挟まれて引き伸ばされていました。
あと、されて恥ずかしい吊りは、手を後ろに組んで縛られて鴨居から吊られ、両足も英語のM字に広げられてそれぞれ頑張ってから吊るされる形です。
おじさんの顔の高さに、私の割れ目が広がってて、意地悪なおじさんはそんな私の前に大きな姿見を置いて、私に見るように強要しました。
恥ずかしいから目を伏せたり閉じてると、私の小さなビラに紐付きの洗濯ハサミを挟んで、左右に引っ張ると言うとんでもない拷問をされました。
まあ私には恥ずかしくて見ない私に見せるための拷問でしたが、姉はビラだけでなく、乳首、クリトリスにも挟まれ、しかも重り付きでした。
我慢強い姉が「ううっ、ううっ、」と痛みを噛み締めるように呻いていたのは、すごい凄みをと感じましたし、おじさんも「すごい!すごいじゃないか!」とどんどんフラッシュを焚いて写真を写していました。
その後、空中に浮いたままの姉の膣に、銀色の膣鏡が入れられたんです。
これは姉も初めてだったそうですが、おじさんから促されて懐中電灯で照らされた姉の膣の中を見せられ、最初は単純に、「ぬめぬめとした赤い肉の色だ」って思いましたが、次第に「お姉ちゃんは、内臓まで拡げられちゃったんだ」と言う考えが頭に浮かんできて、そこまでされる姉がすごく可哀想になりました。
でも、そんな感情にも関わらず、おじさんの事が嫌になるなんて言う気持ちは全く起こりませんでした。
これは自分でも、不思議な心の動きだと思いました。
また、「お姉ちゃんのようにおじさんに恋をしたら、私もあんな拷問に耐えられるようになるのかな」とやはり憧れに似た気持ちもありました。
吊りの事については、次にももっと書きたいと思います。
後になりましたが、外国の軍人さんのイメージを思い出させてくれた13番様、ありがとうございました。
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