お尻を処刑してもらってから、姉がおじさんの家に行く回数が増えたように思えました。
それまでは大体週末だけだったのが、平日にも一人で行くようになったようです。
おじさんの家に行った時は、姉の顔が微妙に普段と違ってて私には分かりましたし、夜寝てる時に姉から私に、そっと「今日はこんな拷問してもらったのよ」と話してくれることが多かったです。
梅雨に入った時でした。
私が友達と一緒に学校から帰っていると、後ろから姉に声を掛けられました。
「今日は特別授業で、早く終わったの」と言って、友達にも挨拶してくれましたが、顔が熱があるように赤く、目が潤んでいました。
私が友達と別れて、姉と一緒に歩き始めたら直ぐ、後ろからおじさんが追い付いてきました。
おじさんは姉に「大丈夫?」と聞くと姉が「はい..」と答えましたが、その声変わりもうおじさんに拷問してもらってる時の感じになっていました。
おじさんは「先に戻っているから」と行ってしまいましたが、その後に姉が「この前の革のパンティ穿いてるの」と小さな声で私に打ち明けてくれました。
私が驚いて「あれ、痛かったんじゃないの?」と聞くと「うん、痛いよ。でも、多分大丈夫」と言いましたが、言われて見れば、姉の歩きは歩幅も小さいし、かなりゆっくりでした。
「おじさんに無理やりさせられたの?」と聞いたら姉から怒ったように「違うわよ、無理やりなんかじゃない!」と言われてしまいました。
そこからおじさんの家まで300メートルくらいでしたが、休み休みで15分くらいかかりました。
おじさんの家に着くとおじさんに「ありがとう、和ちゃんがいてくれたから、私は先に戻れたよ」と言われましたから、おじさんは姉を一人で歩かせてたのではなく、私に会うまではちゃんと後ろで見守っていたんだって分かり、ちょっと安心しました。
姉は私とおじさんが話をしている横で、着ていた制服を脱ぎましたが、革のパンティの上からは大きめの白い、その頃私達がズロースと言ってたパンツを穿いていました。
多分風でスカートが捲れたりした時の用心なんだと思います。
その頃の子供のパンツは、裾が膨れたズロースを穿くのは幼稚園くらいの小さな女の子で、小学校に入ったら普通のショーツでした。
姉はそのズロースも直ぐに脱ぐとしたのですが、おじさんが「ちょっと待って」と止め、「まっすぐ立って」と言いました。
姉がズロース姿で気をつけをすると、おじさんはニコニコしながら「私の子供の時や若い時は、女の子はみんなこんな提灯ズロースを穿いてたよ」と言いました。
それから本棚からアルバムを出して、提灯ブルマや提灯ズロースを穿いてる昔の女の子の写真まで見せてくれました。
その中で、おかっぱ頭にズロース一枚の裸で鍬を持って働いてる女の子の写真もありました。
おじさんはその写真が気に入ってるようで、「外で裸で働かされてる女の子、可哀想だって思うかい?」と姉と私は聞かれました。
姉は正座してましたが、前後二つの穴に棒が入ったままでの正座はかなり辛そうで、薄く汗をかいていました。
私はその時に見せられた写真の中では、おかっぱ頭にズロースだけの女の子が壁をバックに写されてる連続写真が強く記憶に残っています。
最初はスリップ姿。
次はズロースだけで両手で胸を隠している姿。
3枚目は、多分隠すなと言われたのでしょう、両手をわきにつけた気をつけの姿勢ですが、顔は斜め下を向けてとても恥ずかしいみたいで泣いてるように見えました。
4枚目5枚目は後ろ向き、横向きで写されていますが、年齢は私と同じくらいのようでした。
6枚目は正面を向いて両手を上に上げています。
7枚目ではついにズロースを脱がされてて、全裸で両手で割れ目を押さえて隠しています。
8枚目では両手を下げて気をつけ。私と同じで全く発毛してない割れ目がくっきりと写っていました。
9枚目は両手を頭の後ろに組まされて、足は横に広げていました。顔は俯いていました。
10枚目はがに股のように腰を落とさせられて、横から男性が女の子の割れ目のところを、棒で指し示しているように見えました。
女の子は顔を上げていましたが、きつく目を閉じて顔には涙の筋もしっかり写っていました。
痛いことをされてる訳ではないけど、年齢的にも私と同じくらいでしたし、この子は本当に恥ずかしくて死にそうなんだって感じでした。
写真の脇に所々写ってる男性が、軍服を着た外人のようで、「戦争に負けて直ぐの時は、本当にあったのかもしれないな」とも思いましたし「この子はこの後どうされるんだろう?」とすごく感情移入してしまいました。
おじさんは姉に別の写真の説明をしてましたが、私がその連続写真を繰り返し見てるのに気がついて「ああ、それはアメリカの知人らもらったんだ。可哀想だろ?」と言って「このシリーズ、まだあるはずだから、探してあげようか?」と言いました。
ところが私が返事をするより前に姉が「あの..痛くて...」とおじさんに甘えるような声で言いました。
おじさんは私には「探して今度見せてあげるよ」と言って姉にかまってしまい、その日は私はそのまま帰りました。
その写真は、ちょうど順番的にもこの時期に見せてもらったものですし、13番様の投稿の「基地うんぬん」を読んで、この写真の記憶が鮮やかに蘇ったので書かせていただきました。
※元投稿はこちら >>