大雨で親戚の仕事のお手伝いが出来ません。
また書き込ませていただきます。
おじさんからの拷問は、姉はもう膣を処刑してもらってるし、鞭も割れ目への食い込みも全部私より前に経験してました。
でも、お尻の拷問については「私も姉も一緒に始めたんだし!」と変なところで姉と張り合おうと考えたこともありました。
でも、実際は身体の成長の度合いが違ってましたし、私は苦痛や惨めさをじっと堪えるのは元々姉より劣っていたようです。
そこをおじさんはちゃんと分かった上で、私と姉を拷問してくれました。
肉体的にも精神的にも、私が取り返しのつかないような壊れ方をせず、しかも姉と変な争いもしないで上手くできたのも、おじさんの巧みな話し方に寄るところが大きかったと思います。
姉も、拷問の現場で私を慰めるだけでなく、これから私がされる拷問がどんなものかを見せてくれたこと、家族にばれないように気をつけてくれたこと、等本当にお世話になりました。
さて、お尻への拷問ですが、初めての日から2日も経たずに姉と私の結論は出てしまいました。
おじさんは少しづつしてくれると言った。
だから姉の処刑みたいに、慣れて耐えられるんじゃないかな?
姉と色々話したけど、結論はそんな感じでした。
排便するのを見られる羞恥は激しいものがありましたが、「3人だけの秘密」と言う思春期の女の子にとって都合の良い言葉に飲み込まれてしまいました。
おじさんは私達の浣腸の写真もかなり写した筈ですが、私達がショックを受けないように、注入や便意を耐えて苦しんでいるところ、耐えられず出してしまった瞬間はその写真を見せてくれたのに、便器やおまるに溜まった便がはっきり写ってる写真は見せてくれませんでした。
そして見せてもらった写真の中でも、二人の注入される直前の不安気な表情、正座して俯いて泣いてる姉、トイレの便器に反対向きにしゃがまされて苦悶の表情で出してしまった私の写真は見ていると、またその時の不安や惨めさをはっきりと思い出させてくれて、本当に素敵だと思いました。
ふと不安になって「この写真も他の人に送ったりするの?」とおじさんに聞くと「うん、二人の写真は素敵過ぎるから、余程のマニアじゃないと見せられないけどね」と言われました。
おじさんは女の子のそんな写真を世界中のマニアと交換してるみたいで、英語で印刷された薄い本に私達の写真が載っているのを見せられたこともありました。
その時は姉が「私達のこんな裸、世界中の人に見られたのね..」と言いながら、自分の胸を押さえて揉むような仕草をしたし、私も割れ目の奥がじわーっと湿ってきたのを覚えています。
もしあれが、日本で普通に売られてる本なら恐怖や困惑で大変でしたでしょうが、アメリカで印刷されて売られてると聞いたから、こんな被虐感に浸れたのだと思います。
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