急に寒くなりました。
寒さの中を野外で責められてた少女の頃と違って、今は寒さが辛いです。
一度だけ、姉と一緒におじさんの家に泊まった時のことを書かせていただきます。
冬休みに入った年の瀬でした。
急な不幸事で、両親が泊まり込みで関西の親戚のところに行かねばならなくなりました。
私一人なら絶対に連れていかれてたのでしょうが、両親とも姉には絶対の信頼を持っていたため、「お姉ちゃんの言うことを聞くのよ」と言われて、慌ただしく出ていきました。
私が姉に、今晩どうすれば良いかと聞こうとしたら、もう姉はおじさんの家に電話を掛けていました。
「おじさんが来なさいって!」と本当に嬉しそうな声で言うと、私を急かして戸締まりをさせました。
私がパジャマや下着の着替えを用意してたら、姉はから「私は要らないわ。歯ブラシとかもおじさんのところにあるじゃない。」と言われました。
もう姉は、おじさんの所ではずっと裸でいるつもりだったみたいです。
それでも前におじさんから勉強の事で叱られたせいか、勉強の道具が入ったバッグだけ持っていきました。
おじさんの家に着いたら、早速一度裸にさせられて、下着を小さなパンティに穿きかえさせられ、その上から縦に縄を食い込まされました。
私はそれほど強く絞り上げられず、「あ、変な気持ち..」と言う程度でしたが、姉は縄に結び目がつけられ、それがパンティごと縄が割れ目に食い込むほど締め上げられていました。
おじさんから「歩いてみて」と言われて、室内を歩きましたが、私は「ちょっと痛いけど、大丈夫だよ」と答えました。
姉も「私も大丈夫です..」と答えましたが、どう見ても大丈夫じゃないようでした。
私は緩く締められてるせいか、自然に太股を閉じようとしているのに、姉は自分の太股を締めるのが多分痛くて出来なかったのでしょう。
がに股までいきませんが、不自然に足を広げていました。
歩幅も小さく、部屋の中を回るだけで、何度も立ち止まっては、手で隠した胸を大きく動かして息をしていました。
これからどんな拷問になるんだろう?どんな道具が出てくるんだろう?と思ってたら、おじさんは私達に服を着るように言いました。
私は着てきたブラウス、スカート、カーディガン、その上からジャンパーを着ました。
当時の小学生のスカートは短かったので、縄が見えちゃうかも?とちょっと心配でした。
姉は着てきた中学の制服を着ました。
膝丈のスカートだから、不自然なことをしない限り縄やパンティが見られることはない筈でしたが、いつもは開いていない筈の姉の足先が外を向いていることだけでも、私には不自然に見えました。
その格好でおじさんの車に乗って、30分くらいかけて隣の町に買い物に行きました。
年末で人通りの多い商店街を歩き、デパートに入りましたが、そこでおじさんは私達に銀に小さなクリスタルが付いたイヤリングを買ってくれたんです。
もちろん家に持って帰ると母に見つかるから、おじさんの家に預けておくことになりました。
それに私にはきれいなフリルの付いた膝丈の紺色のワンピースと、それに似合うベレー帽と靴まで買ってくれました。
試着の時におじさんが姉に「店員さんに見られないよあうに気をつけてあげて」と言ってくれ、姉が私が試着してる時は、ずっと外で見張ってくれてました。
おじさんもとても似合うと言ってくれて、私はそのワンピースを着たまま帰ることにして、着てきた服は大きな紙袋に入れてもらいました。
おじさんは姉にも買ってあげると言ったんですが、姉が「和ちゃんに買ってくれてありがとうございます。私は本当に良いんです。」と言って断ってしまいました。
その後、三人で地下の食料品売り場に降りましたが、姉はやはり食い込んでるのがきついみたいで、途中階段で何度も立ち止まりましたし、顔も赤くなっていました。
食料品売り場で、おじさんは私達に「カレー作れるかい?」と聞きました。
姉は母の手伝いをしていたから、お料理も得意でしたが、私もカレーくらいなら作れました。
おじさんは、お肉や野菜等の材料、それに家では滅多に食べないような季節外れのフルーツ、ケーキなどまで買ってくれました。
多分周りから見たら、買い物をする微笑ましい父親と姉妹に見えたかもしれません。
でもその頃は、緩く食い込ませてもらってる私も、自分で「パンティが濡れてしまってるな..」って意識してましたし、強く食い込まされてる姉は、注意して見てる人がいたら、「あの女の子、熱があるんじゃないの?」と分かるくらい顔が赤くなっていました。
おじさんの車に乗って、おじさんの家に帰りついた時は、もう姉は眉を潜めて、切なげなため息を何度もついていました。
おじさんの家に帰ると、おじさんは直ぐにストーブをつけてくれました。
私達も着ていた服を脱いで、ハンガーに掛けたり畳んだりしました。
私の穿いてたパンティは、やはり濡れてしまっていましたが、おじさんは濡れたパンティを脱がせると、こんどは柔らか目の白い縄を直接割れ目に食い込ませて締めてくれました。
姉は濡れてるパンティを脱がされて、それを自分で拡げたり、濡れてる部分にキスしたりしてる写真を何枚も写されました。
それから、私も前に見せられた、お尻の中で膨れて抜けなくなるゴムの栓をお尻に入れられました。
その日姉が入れられたゴム栓には、中で膨らませるためのゴムの管と別に、お尻の中に空気や薬を注入できる別のゴムの管がついていました。
しかも、そのゴムの管がもっと長いゴムの管と接続出来るようになってるんです。
姉はそんなゴム管をお尻からしっぽのように垂らしたまま、台所でカレーを作らされました。
私はそんな姉を見ながら、おじさんの膝の上で色々な写真やイラストを見せられながら、割れ目や胸を弄られました。
おじさんの横には、一升瓶くらいもある太い注射器型のガラス製のシリンダーがあり、それから姉のお尻に繋がるゴム管に繋がっています。
多分濃度は薄いんだと思いますが、その中に浣腸薬が入っていて、おじさんは私の身体を弄りながら、思い出したように時々シリンダーについてるピストンを少しづつ押しました。
その度に流し台に立ってお料理をしてる姉が「はあっ..!」とか「うっ..!」とかため息をつき、手を止めるんです。
途中何度か姉が「あの..、辛くて..」とおじさんに赦しを請いましたが、おじさんはなかなか赦してくれませんでした。
シリンダーの薬が半分くらい無くなったころに、やっと一度姉のお尻の栓を抜いてトイレを許してあげたけど、姉がトイレから戻るとまた栓を入れて、薬を注入していました。
姉がお料理しながらの浣腸責めを続けられたのは30分以上掛かってたと思います。
注入されたお薬の量も、前後で1000cc以上はあったと思いますが、それでも姉はきちんとお料理を作りました。
しかも、途中から膣におじさんがペニスの形に荒く削って作ったニンジンを差し込まれてでした。
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