そろそろ記憶が曖昧になってきています。
おじさんの家で初めて三角木馬に乗せられたことを書きたいんですが、五年生の時だったか六年生の時だったかがはっきり出てきません。
それまでも、割れ目に縄を食い込まされる拷問はされていました。
また、三角木馬まで行きませんが、二つの脚立に渡された鉄棒を跨がされたこともあります。
でも、背の尖った三角木馬は、割れ目に加わる痛みが格段に違っていました。
おじさんから見せてもらった外国の拷問写真でも、三角木馬は十字架への磔と同じくらい多かったですし、生々しくて写ってる女の子が本当に痛みを感じてると思われるものがいっぱいありました。
単純に三角木馬に跨がされているだけでなく、乳首を別の紐でひっぱられてたり、足の先に重りを下げられたりです。
中には三角木馬の背が尖ってるだけでなく、細かい針が植え付けられているものまでありました。
拷問されてる女の子の年齢も色々でしたが、殆どがぐったりとうつ向いてるか、諦めた表情の人が多く、痛さで泣き叫んでいるものは殆どいませんでした。
私はそんな拷問されてる女の子のことばかりに注目してたんですが、おじさんから「この写真の木馬、表面を見てごらん」と言われて改めて見たら、女の子が足を垂らしてる板の表面に、いくつも周囲より濃い色の線が、木馬の背から垂れるように着いているのが分かりました。
「それまで拷問された女の子の、血やおしっこだよ」と言うおじさんの説明を聞いて、「血が出ても許してもらえないの?」と外国の拷問の恐さを感じました。
今でも、前に拷問をされた女性の体液が着いたままの三角木馬に跨がされるなんて、衛生面ではとても危険なことだと思います。
さて、私と姉が体験したことを書かせていただきます。
週末に姉と二人でおじさんの家に行ったら、前の時には無かった三角木馬が置かれていて驚いた記憶があります。
畳にマットが敷かれ、その上に置かれていました。
見かけは重々しくは無く、脚立を2つ並べた脚に、厚手の木の板を組み合わせたと言う感じのものでした。
私はその時はてっきりおじさんが自分で作ったものだと思ってましたが、今では板がきれいカンナ掛けされてたり、二枚の板を合わせた部品が凸凹を巧みに組み合わせてあったりしてたことから、少なくとも木製の部品は専門の木工職人等に作ってもらったんだと思います。
最初に乗ったのはやはり姉でした。
おじさんは木馬の両側に踏み台を置き、それにパンティ一枚の姉を立たせました。
姉は「私は直接でも構いませんが..」と言っていましたが、おじさんから「そのうち、直接割れ目を虐めてあげるから」と言われて、パンティ姿で股がりました。
姉は足を拡げて木馬を跨ぐ格好で立ってから、手を後ろに縛られました。
それから、おじさんに言われて、少しづつ腰を落としていき、ついに股間を木馬の背に当てました。
おじさんから「どう?きつい?」と言われた時、いつも我慢強い姉が躊躇いがちに「はい、ちょっと..」と答えました。
おじさんは自分も木馬の後ろに置いた別の踏み台に立って、姉の脇に手を入れると姉の身体を抱えると、ぼんやり見ていた私に「お姉ちゃんの足の下の踏み台を外して!」と言いました。
踏み台を外すと、姉の身体はおじさんから支えられているだけになりました。
「そっと下ろすから、太股を締めて体重を支えて」と言うと、おじさんは姉の身体を木馬に完全に乗せてしまったんです。
姉が細い太股を締めて、なんとか自分の体重を支えようとしてるのは分かりました。
でも、すぐに力が抜けてしまい、木馬の背がパンティ一枚を隔てて姉の割れ目に食い込むようになったんです。
滅多に苦痛の声を上げない姉が「うあぁ」と呻くような声を上げました。
目は固く閉ざして、口が苦痛で歪んでいました。
それなのに、木馬の上で苦しさのために暴れたりはしないんです。
ほんの数分で、姉は外国の写真の女の子と同じように、俯いて時々僅かに身動きする程度になってしまいました。
どのくらい痛いのか聞きたいけど、とても聞ける雰囲気ではない、と言うことは私でも分かりました。
多分10分も経ってないと思いますが、おじさんが「もう、やめようか?」と聞くと、あの我慢強い姉が「は..い..」と弱音を吐いたんです。
股がったのと逆の流れで、姉の足の下に踏み台を置き、姉を立たせ、最後もおじさんが抱き抱えるようにして床に寝せました。
おじさんから言われて広げた姉の股間は、ほんの数分でパンティのクロッチが水に浸したように濡れてしまって、二重の布を透して姉のビラやクリトリスが見える程でした。
ただ、心配していた出血はしていませんでした。
おじさんから聞かれて姉は「すごい辛かったです..」「はい、すみません..。漏らしました..」と答えていました。
姉のパンティの濡れたのは、いやらしい汁だけでなく、あまりの痛みで姉がお漏らししたからだったんです。
おじさんに言われて姉は濡れたパンティを脱ぎましたが、クロッチ部品が割れ目に貼りついてでもいるのか、剥ぐのが痛そうでした。
正直見ていた私も、恐いのとエッチな興奮で、只でさえおしっこが漏れそうな感じになっていました。
おじさんから「和ちゃんは?」と聞かれた時、横で姉がやめるようにと必死な形相で顔を横に振っていました。
私も恐くてたまらなかったのに、もうその場の雰囲気というか、おじさんからのこれまでされてきた催眠効果と言うか、「私もされなくちゃ..」と思ってしまったんです。
おじさんの情けかもしれませんが、私には姉が穿いたパンティより厚手の綿のショーツが穿かされました。
姉と同じように踏み台に立たされて後ろ手に縛られ、しゃがんで木馬の背に割れ目を着け、おじさんから抱き抱えられて、姉が踏み台を外しました。
おじさんの力が抜けたら、私の割れ目に木馬の背が食い込み、たまらない痛みが襲うはずでした。
それが何時かとドキドキして待っていると、おじさんから「和ちゃん、もうおしっこ漏れてるんじゃないかな?」と急に言われました。
えっ?私、漏らしてる?匂いがしたのかな?
と私の意識がそっちに向いた時に、おじさんの腕の力が抜けました。
確かに痛かったんです。
木馬の鋭角の背が割れ目に食い込んできました。
痛さに身動ぎすると、また痛くなって、結局全く動けなくなりました。
口で「痛いよ!」と言うだけの動きでも、割れ目に響くんです。
私も姉と同じで、股間の痛みを味わいながら、じっと動けませんでした。
木馬に乗せられてる間は、「ああ、まだなの?早く許して欲しい..!」と言うことと、「私も漏らしちゃってる」とこの二つのことしか考えていません。
顔を回せば見える所に時計もあったんですが、その事に気がつくゆとりもありませんでした。
姉が「あの、そろそろ..」とか「だって私より..」とかおじさんに言ってくれてるけど、「お姉ちゃんが言っても聞いてくれないよな..」と思うばかりで、姉のように「おじさんから気に入られる為に我慢しよう」なんて考えは拷問されてる間は全く出てきませんでした。
そのうち激しかった痛いが「痛いよ..、やだ..」程度に感じ始めたころ、おじさんから「和ちゃん、よく耐えた!」と誉められたと思ったら、後ろから抱き抱えられました。
上がっている間は死にそうに辛かったのに、下ろされて床に寝かされたら、思ったより早く身体が楽になりました。
「和ちゃん、もう大丈夫?」とおじさんに聞かれて「すごい痛かった!でも、今は大丈夫」と言うと「やっばりね」と変な言い方をするんです。
姉が「和ちゃん、私より長い時間されてたのよ!」と心配するような、ちょっと悔しそうな口調で言いました。
おじさんが言うには、この拷問は乗せられた人の体重が重い程辛いんだそうです。
それを分かってたから、おじさんは姉より長い時間私に股がらせたんだそうです。
その時に穿いていた姉のパンティや私のショーツは、染みを何枚も写真に写され、私達の写真と一緒に他の人に送られたそうですし、パンティ、ショーツも他人に上げたと言われました。
この初めての木馬の拷問の後ですが、おじさんの命令で、私はまた姉から割れ目を口で手当てしてもらったんですが、姉は私を手当てしながら、おじさんに後ろから処刑されました。
姉は感じてるのか痛いのか、うめき声を上げて顔を私の割れ目に押し付けてきました。
姉が処刑された後、おじさんのぺニスと姉のお尻や割れ目は私が口できれいにしましたが、私は平気だったのに、姉は私から割れ目を舐められて痛みを感じる部品があったようです。
おじさんの家の木馬は、板を取り外して片付けたり、また組み合わせて私達の拷問に使われたりしましたが、使っている間はあまり動きがないのと、やはり姉の身体にはきつすぎたようで、おじさんは写真を撮るのには良く使いましたが、外国の写真のように股がらされて他の拷問をされることはあまりありませんでした。
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