「のり子のマンコは可愛いし綺麗だよね」と継父に言われてマンマンちゃんを開くとカメラは更に近付けて来ました。
クリトリスを指で突っつきながら弄くりまわされると自然に股を広げて居ました。
少しは膨らみ始めた胸を舐めたり、プックリと尖ったら乳首を吸い上げられたりもして、継父は忙しなく私の身体を撮影していました。
その間も継父のオチンチンは上を向くようにピョンピョンと跳ねていました。
継父に嫌らしい言葉を掛けられ、愛撫されるとまだ子供の身体なのに濡れてきてるのが分かりました。
継父はビデオカメラを入れたり鞄から用意してきた三脚ともう一台のカメラを取り出して三脚に固定するのを眺めていました。
カメラはベットに向けられて、後の一台のカメラは継父が持っていました。
「じゃ、のり子儀式を始めるよ」と言われて、そうだ撮影されている間は、私はのり子だった、と我にかえりました。
継父がベット上がり、私は脚を開くと開いた脚の間に割って入ってきて、私はマンマンちゃんに継父のオチンチンが触れるのが分かりました。
すでにヌルヌルに濡れている私はマンマンちゃんを継父のオチンチンを擦り付け、マンマンちゃんの中を上下に動かしてきました。
その様子は継父のカメラが撮影していました。
膣の入り口辺りにオチンチンを更に押し付けられるとズリュと膣口が広がり異物感が凄かった。
継父がオチンチンを押し付ける力を強くすると、ネチョネチョ音がしはじめていました。
入り口近くで痛みが走りました。
継父が私に覆い被さると、一気に痛みが増していました。
声が出そうになるのを我慢しました。
「のり子痛くはないか」と聞かれて「オジサン、痛いけど我慢するよ」と言うのがやっとでした。
一旦私から離れると、私と継父のアソコはピッタリと密着している様でしたが、痛みで麻痺してその様に感じたのかも知れません。
「ほら、のり子マンコにオジサンのチンポが初めて入ったよ」とか「のり子のマンコはきつくて気持ちいいよ」とか言っていたと思います。
暫く撮影するのでその態勢で居ました。
一旦私から離れると、ヌルッと継父のオチンチンが抜けて楽になりました。
三脚のカメラを移動させて、ベットの足元の方から撮影するのにセットし直していました。
その様子を見ながらも、継父のオチンチンに私の血が付いているのが見ていました。
ベットに上がった継父は、私の腰の下に枕を敷いて私に重なってきました。
すぐに脚を開くと中に入れてきました。
痛みは有りましたが、異物感に身体が自然に反応していました。
痛い中に、気持ちいい様な混ざりあった感覚でしたが、継父のオチンチンを出し入れにまた痛みが増してきました。
パチンパチン、ペチペチと継父が動く度に聞こえてて、何か笑いが込み上げてて、堪えるのが大変でしたが、「のり子、感じるのか、何度も締め付けてくるぞ」と言われても意味がわからなかった。
継父にリズミカルにオチンチンを出し入れされているうちに、今までと違う感じがお腹の中で広がりりはじめていました。
継父の動きが速くなり、ペチペチの音が部屋に広がっていました。
私は無意識に継父の背中に両手を回してて、継父の動きを受け止めていましたが、「のり子出すぞ、中に出すぞ」と言うと少しすると私の中のオチンチンの動きが止まりました。
粗い息の継父の顔が近付いてきてキスをされました。
抱きしめられたまま、継父に身体を反転されると不思議な気持ちになりました。
私の中に入ったままのオチンチンの硬さは変わっていないようでした。
継父の胸に耳を付けると、ドキドキと早い鼓動が聞こえていました。
いい様のない不思議な時間でした。
上半身を継父の身体から離して起き上がると、中のオチンチンが更に奥に入ったのか、お腹の奥が気持ち悪かった。
継父に言われる通りにお尻を上下に動かす膣の入り口辺りがゾワゾワしだして変な気持ちになってきてた。
気持ちいい訳ではなくて、変な、不思議な気持ち。
また態勢が入れ替わり、継父のオチンチンが出入りするのを下半身で感じていました。
そしてまた中に出されて終わりました。
その場で撮影した動画を見せられて、自分の膣の中に継父のオチンチンが入っているのがハッキリと映っていて、継父のオチンチンがテカテカ光っていたのが、だんだん血に染まり赤く光っていた。
二人でシャワーを浴びて、継父は私の膣の中に指を入れてシャワーで中を洗い流していました。
母や弟の目を盗んで継父にセックスを求められていました。
六年生の冬休みになる頃には継父のオチンチンで半強制的にイカされて、ピンクローターを入れられたままデパートに連れ出されたりもしました。
スカートを穿かされてピンクローターを入れた状態でノーパンで歩かされた事もありました。
上りのエスカレータで下から見上げられたら見えてたはずです。
継父との関係は続き、ビデオカメラに納められた自分のマンマンちゃんに変化があらわれ小陰辱のヒラヒラが成長を始めると継父はそれを口で吸ったりされてて、次第にシワシワになり、それを伸ばすと撮影していました。
初潮を迎えてなく胸の成長も他の子達から見たら小さいのが分かりました。
継父とのセックスは毎回中に出されたり、フェラでの口内射精もあり、出された精液は全部飲む様に言われました。
中学校に入学する頃にはセックスの喜びを知りました。
そんな生活は呆気なく終わりました。
継父が高校生との援交で逮捕されたのです。
三人暮らしに戻った私達家族は、変わりなく暮らしていましたが、私は夜になるとあの快感が忘れられなくて布団に入っては一人エッチに没頭していました。
勉強も手につかないくらいの性欲が膨らみ、マーカーペンや継父に入れられていたヘアブラシの柄の所も入れたりもしていましたが、物足りなかった。
よく部活で疲れれば一人エッチなんかしたくなくなるよ、とある人に言われたけど、それは嘘だと思いました。
SNSで知り合った人の中には、同県住みだと分かると遊びに誘ってくる人も居たし、ランや直メで話してるうちにエッチな話題にかわり、胸の写メやマンマンちゃんの写メを送って、と言う人が多かった。
何人かは信用できそうな人も居たし、カッコいいと思った人も居ました。
中学一年の夏休みで、部活も休みで暇をもて余していた時に、信用できそうな人の一人からランがきて、死にそうな位暇だったから遊ぶ事になりました。
話していたより実際に会うと年上に見えたけど、話しやすかったし面白いオジサンだった。
でも、結局は私の身体が目当で、ご飯もご馳走になったり、これまでエッチな会話もいっぱいしてて、断りきれなくてセックスをしてしまいました。
夏休み中に何度か呼び出されてセックスをしたのですが、継父にされたセックスと比べると余り気持ちよくはなかった。
そのオジサンはコンドームで避妊はしてくれていたけど、セックスが終わると冷たい態度で寂しかった。
そのオジサンのランをブロックしてメールも拒否しました。
でも、セックスの気持ちよさを知ってる私の身体は一人エッチだけでは満足できなくて、遊びに誘ってくる同年代や若い人は拒否して、30代の人からの誘いにこたえていました。
全くエッチ目的じゃないオジサンも居ましたが、エッチな会話をしているうちに、「エッチする?」とか誘ってくる人が大半でした。
一人だけ40代だった人とのセックスは凄く気持ち良くて何度か会ってセックスをして、その際には外に出してくれたり、時々中に出されたしもしていましたが、幸い妊娠はしなくて良かった。
その後も、何人かのオジサン達とセックスをしましたが、40代のオジサンとは永く続いてて、同時に2から3人のオジサンとセックスをしてました。
セックスをすると気持ちもスッキリして勉強にも集中できて、私生活はセックス依存症と言われそうな位してたけど、学校の成績は上位の方に居たし、部活も頑張ってたから、こんな女の子だとは誰も知らなかったと思います。
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