雄岡山さん、父親には準強制性交までは当てはまらない、と言う結果でした。
児童相談所の方から話でしたので、詳しくは説明されて居ませんでしたが、幾つかの準強制性交に当てはまらない要因が有ると判断されたからだそうです。
一番の要因は、同じ家に暮らして居る間柄で、家族の母親や弟に父親からの虐待を相談できたはずと言う事、必ずしも抵抗できなかった立場じゃなかった事、隠していた物で、私が中学校に入学してから父親にされた行為をノートに書き残した物が見付かり、それを元に判断して父親からの一方的な虐待であったと判断されたらしいです。
母親と弟に話を聞いたみたいで、母親は薄々「夫が娘に悪戯をしているのでは」と疑ったそうですが、「現場を確認した訳ではなかったから…」とか、「娘は小学校の高学年になっても父親とお風呂に入っていた。嫌がってる素振りはなかった」と話し、弟は「お姉ちゃんの部屋でお父さんとお姉ちゃんが身体を触りっこしてた」、「僕が家に帰って、ベランダからお姉ちゃんを驚かそうと部屋の中を覗いたら、お父さんとお姉ちゃんが裸で抱き合ってた」話したらしくて。
「お父さんとお姉ちゃんは仲良くて、僕は叱られる事が多くてお姉ちゃんが羨ましかった」とも話したみたいでした。
小学生の時に、父親の胡座の上に座らされて下着の中に手を入れられて悪戯されているところを弟は目撃していたのかも知れません。
私からしたら、母親の話しや弟の話しは父親にしたら有利な証言になったのだと思います。
その後の生活ですが、児童相談所で一時保護になり、1週間程で施設か母方の祖母の家で暮らすかとなり、条件付きで祖母との暮らしを選びました。
自宅からは3駅離れていましたが、高校には近くなり私的には好都合でしたし、祖母との関係は私が小さい頃から良好で、大好きな存在でした。
もちろん、父親が私に会いに来る事は許可されなかったし、母親も極力私と会うことは制限されていたみたいです。
祖母も私が父親から性的虐待を受けていた事を知っていて、私を一杯勇気づけてくれたり自分の娘(私の母親)に対しても批判していました。
私はそれだけで気が休まり平穏な暮らしを続けられました。
もし施設に入所していたら、たぶん同じ様な境遇の人と傷をなめ会う事になり精神的環境は変わっていたかも知れません。
対人恐怖症的な事はたぶん有りませんが、満員電車でサラリーマンに囲まれると貧血の様な症状に襲われて、次の駅に着くとホームのベンチに倒れ込む様に座った経験が何度も有りました。
閉所恐怖症とかではなくて、男性と体が触れ合う事に異常に敏感になってて、それ以外は男性と向かい合って話しも平気でした。
※元投稿はこちら >>