雄岡山さん、今19歳です。
結局は私が高校2年生の時まで父親に性交をさせられました、
父親は私の都合や体調など関係なく、母親が留守の時を狙い無理矢理に私を犯してきました。
私の身体は心では拒んでいるのに、父親の愛撫により乳首を立てて父親を受け入れる様に濡れていきました。
それを確認すると私の中に入れてきました。
正直、父親からの愛撫や性交で気持ち良かったのか、私が嫌がっていたと思っていただけで、本当は気持ちよかったのかも知れない、思うようになっていきました。
でも、いざ父親がわたしの身体を愛撫し初めても、ただ触られている感覚しかなくて気持ち良いと言うものは有りませんでしたが、父親の愛撫が続くとすんなりとの指を入れられていました。
気付くと父親は何も言わずに私の中に挿入してきました。
私の気持ちなど考えないで、自分の性欲に負けて実の娘に対して欲望に膨れたオチンチンで私を何度も犯していました。
そんな生活の中でも、私は高校受験をむかえて無事に志望校にも合格できました。
楽しい高校生活の中でも、父親による性交は続きました。
胸も発育して、それが父親を喜ばす材料にもなり「真美のマンコの中は最高だぞ」とか「エッチな娘だな、父親のチンポをにヒダヒダが絡み付いてきてるぞ」とニヤニヤしながら腰を私に打ち付けていました。
中に出される回数は減りましたが、出す時に私から引き抜いてお腹の上に出したり、引き抜いた後に私の股の間に出したりされました。
股の間に出されるとシーツには染みができるので、満足して私の部屋から出ていくのを確認してから父親の出した精液が着いた身体を拭き取り、シーツも取り替えて、ベッドには消臭スプレーをかけて匂いを消していました。
母親が「2時間くらいさんと買い物に行ってくるから」と言い残すと出掛けていきました。
私は洗濯が終ったので自分の部屋に行きベランダに干し終わり一息ついていました。
隣の弟の部屋のドアが開く音がして、父親と弟との声が聞こえてましたが、何を喋っているのかまでは聞き取れませんでした。
少しするとドアが閉まり父親が1階に降りる足音が聞こえて、そのあとを追うように軽い足音も聞こえていました。
二人で出掛けるのかな?
と思ってると、また階段を上がってくる足音が聞こえて私の部屋の前で止まりました。
部屋のドアが開くと父親が中に入ってきました。
私は全裸にされて、父親も全裸になると私に襲い掛かってきました。
散々おもちゃにされて、父親のオチンチンが入れられて、腰を動かし続けている最中に私の部屋のドアが勢いよく開くと「何やってるのあなた達は」と母親の怒鳴り声が部屋に響きました。
私は驚き身体を強ばらすと同時くらいに父親が射精をしながら私から離れたので、オチンチンからはまだ勢いよく精液が飛び出し撒き散らしていました。
なんとも可笑しな光景でしたが、母親の「二人とも地獄に落ちろ」と言う言葉に私は咄嗟に身体を起こして「地獄、そんなのずっと前から落ちてるよ」と初めて母親にきつい口調で言い返していました。
全裸に父親の精液が付いている身体を見た母親は鬼の形相で私の頬を打ち父親の頬には何度も打っていました。
私の中であんなに元気だった父親のオチンチンは不思議なくらいに小さく萎んでいるのに、また先からは精液なのか糸を引いて床に垂れ落ちて居ました。
父親は一生懸命に母親に謝っていましたが、父親が一言口を開くと何倍にも言い返されていました。
本当、マンガの様な光景でした。
私はベッドから降りて、私の身体に付いている、父親が撒き散らした精液をウェットティッシュで拭って、父親によって脱がされた下着や服を広い集めて部屋を出て廊下で身仕度を整えて家を飛び出しました。
以前、何度か相談していた人に会いに行きました。
中学生の頃からの知り合いで、学校での悩みの相談や家庭での悩みの相談がある人は遠慮なく相談してください、と言ってくれていた児童相談所の人でした。
体罰的な相談は何度かして、お父さんの体罰がまたあったらすぐに教えて、と言われていましたが、体罰の他に性的虐待が日常化の様に繰り返されていて、体罰の事から性的な行為がその人に知られるのが怖かったから、父親に処女奪われてからは話を聞いてもらいには行って居ませんでした。
久しぶりに会った私は個室で今までに有った父親からの行為や、今日の出来事を話しました。
その人は色んな所に電話をしてから、私を連れて婦人科に向かい、車の中では、そこで病気や妊娠の検査や体の診察をしてもら事を知らされました。
病院の裏口から入り色んな検査と、恥ずかしかったけど性器の診察や膣の中の診察を受けました。
後から教えて貰ったのですが、膣の中を診察するのは、本当に父親が私に対して性交をしていた事を確認する為と、性交の頻度を調べるためだったそうです。
実際にその時の検査で、私の膣の中に残っていた精液も採取していたそうです。
その人と産婦人科を後にして相談所に戻ると、別室には父親と母親が来ていたそうです。
父親と母親は別々の部屋で相談所の人と面談をしていて、その日私は相談所の施設に一時保護と言う措置が取られ、父親との話し合いで、父親は私に対して性的虐待、性交の事実を認めて、母親も薄々だけど父親の私への行為を感じていたそうです。
それ以来、私は父親と会っていないし、母親も父親と離婚して私と弟の親権は母親が取りましたが、私が母親との生活を拒むと母親とも離れて暮らし、高校を卒業して私は家族を捨てました。
心残りなのは弟の事です。
両親の離婚の切っ掛けは、被害者だけど弟からしたら私が離婚の原因だと思っていたら悲しいです。
長くなりましたが、ありがとうございました。
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