またショーの時の話になります。
ショーでいやらしい事をされて、自分の気持ちとは関わりなく性の快感を感じるようになってしまったことは前に書きました。
ショー自体は、女の人が快感を感じようが感じまいがお構い無しで、観客の人が喜ぶように進められるものでした。
ショーの進行をするクラブの人や、観客から選ばれて舞台に上がってくる人からの責めで快感を感じるのとは少なかったのですが、母からしてもらう時は、舞台でたるにも関わらず声をあげてしまうくらいの快感を感じる事がありました。
でも、回数は少ないのですが、クラブの人から責められて強い快感を感じ、舞台の上であられもなく乱れてあげくに気を失ったこともあります。
ショーに出されるようになって、もう1年たった頃でした。
その日は母が来れずに、私一人でクラブに行かされました。
一人で行ったことは、それまで何度かありましたが、やはり一人では不安と恐さで心細かったです。
その日はショーに出る女の人も少なく、私の他は母より歳上の未亡人の人だけでした。
その人のショーは、いつも盛り上がらない様子で、その日も自然に早く終わってしまいました。
「ああ、私がいっぱい長く責められるんだ
」「盛り上げるために、派手な残酷な責めをされるんだろうな」って、憂鬱になりました。
その日はクラブの用意した白の薄いナイロンパンティだけを穿かされて、縛られもせずに舞台に立たされました。
両手で胸を隠して観客の視線に耐えていたら、司会の女の人から「いつも残酷な責めに健気に耐えているこの子に、今日は残った時間いっぱい耐えてもらいます。」「きっと何度も気を失う事でしょう」と告げられました。
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「三角木馬とか逆さ吊りとか派手な責めなんだろうな」
って心の中が暗くなりました。
「せめてお母さんがいてくれたら…」
と思うと、自然に涙が出てきました。
ショーが始まり、やはり浣腸をされました。
その日はショーの前に一度浣腸をされて汚いものを排泄してしまっていたのですが、ショーでは婦人科健診台でグリセリンを薄めたぬるま湯をゴム管で二リットル入れられ栓をされました。
二リットル入ると、当時の痩せてる私の身体だとお腹が膨らんでるのがはっきりわかりました。
お腹の痛みと寒気に耐えていましたが、その日は母がいないと言う精神的な弱さと、思春期で生理の前という体調面の不具合で、とても辛く感じました。
30分の我慢を宣言されていたのですが、ほんの5分くらいで身体中に悪寒が走り、お腹が壊れるように感じられました。
それまで情けを請うても助けてもらえたことはなく、無駄だと分かっていました。
10分くらいの時には、激しい便意が繰り返し襲ってくる間は赤く染まった地獄にいるように思え、便意の弱まるわずかの間には漆黒の世界にいるような気がしました。
観客のヤジなども聞こえず、静寂の赤と黒の世界の中で一人で苦しんでいましたが、そのうち赤の世界が薄くなってきました。
多分殆ど気を失っていたのだと思います。
急に乳首に鋭い痛みを感じで正気に戻されました。
司会の女の人が、注射針で私の乳首を突いていました。
「ああ、酷い…。引き戻さないで…」ってまだ朦朧としながら思いました。
司会の女の人の声で「まだ後10分以上…」って聞こえて、「ああ、また気を失いたい」と思っていたら、何故かお尻の中の栓が抜かれ、激しい音をたてて自分が排泄してるのに気がつきました。
後で未亡人の人に聞きました。
司会の女の人が、「お客様。この可愛い健気な子にお慈悲をかけることを私からお願いします。」と言ってくれて、観客の方からも「もう助けてやれ」と言われたそうです。
そのあとは苦痛な責めではなく、快感責めとでも言うんでしょうか、女の人が指や筆、思ちゃなどで私の全身を愛撫して、私を何度も逝かせるショーとなりました。
途中で女の人から「貴女って本当に健気な子ね」「今日は苦しんだご褒美だから」「この後も苦しいことはしないから安心して」など小さな声を掛けられました。
「この女の人は、私に優しくしてくれるんだ」って分かった途端、身も心も緊張が溶けて、それから一時間あまり初めて母以外の人からの愛撫で快感をあじわいました。
それからはクラブの人を不必要に恐がることもなくなり、挨拶も交わすようになりました。
私のひとつの転機だったような気がします。
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