私も当時は人のいない所で泣きました。
なぜ友達が皆伸び伸びと健康で健全に暮らしているのに、私だけがクラブでいやらしく痛く恥ずかしく辛い責めを受けなくてはならないのか?
母は私を愛しているはずなのに、なぜ私を継父の命ずるままにクラブに連れていったのか?
継父はあんなに母を愛しているのになぜ母をクラブに行かせるのか?
クラブの人はなぜ何も悪いことをしていない私や母を責めるのか?
クラブに来る人たちは、なぜ私達が苦しむのを見て喜ぶのか?
分からないことばかりで、世の中は理不尽で、自分が世の中で一番不幸せな女の子だと思い詰め、人のいないところで泣きました。
クラブの人を怨み、継父を怨み、継父と再婚した母を怨みました。
でも今現在は、怨みはぼんやりした忘却の彼方です。
記憶には、前に書いたように私を責めたクラブの人も幾ばくかの人間らしい優しさがあった事の方が強く残っています。
これは多分、私が不幸な少女時代を過ごした分、幸せな結婚生活を送る事ができたからではないかと思うのです。
幸せな記憶が昔の辛い記憶に上書きしたのかもしれません。
クラブの人たちの印象も初めの頃の恐くて嫌な人たちから、仕事で私を責めているけど、本当は思いやりも優しさもある普通の人になりました。
それともうひとつ、私はよい意味での諦めを出来る子供だったのかもしれません。
人を怨んでも、弱い当時の私は逆らうことも家出をすることも出来ず、何ら解決にはなりませんでした。
せいぜい泣いて涙を流して、それで今の辛さを少しでも薄めようとするだけでした。
こんな事は多くの人にも経験があるのではないでしょうか。
母の時代は戦争があり、自分の意思に関係なく様々な不幸を多くの人が背負っています。
でも、人を怨んでも仕方がなかったはずです。
私の場合は、その心の切り替えが自然に出来ただけだったと思います。
これは私が幸運だったからで、大きな不幸や衝撃を受けてトラウマになって心の病気になる人もいて当たり前だと思います。
心の病気を持った人をどうしたら助ける事が出来るかは、私のような普通の女にはとても解りかねます。
でも、今の私が幸せなのですから、少しでもそんな人に楽になって欲しいと思っているのも本当です。
上手く言い表せなくて済みません。
私は本当にただのいやらしい経験を持ったおばあちゃんです。
失礼しました。
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