勝手な内容を書かせていただきます。
この寒さの中で若い女の子が、裸の太股を出したミニスカートで歩いていました。
さすがに若さだなって感心しました。
性の世界でよく露出を取り上げる人がいます。
露出をする理由がショーに出されていた頃の私のように無理矢理に強請されるのは別として、自主的に露出をする人の理由は、裸を見られる事で解放感を感じて気持ちよくなる人、「見られるかもしれない見られたらどうしよう」とスリルを求める人、自分の美しい裸体を見せて自慢したい人、そして主人から露出を命じられた時の私のように被虐の悦びを感じる人と色々だと思います。
前にも少し書きましたが、主人から混浴風呂に連れていかれた時は、他人様に裸を晒すことの恥ずかしさを愛する主人が求めている、それの恥ずかしさを主人のために味わう、と言う主人のための被虐でした。
私は思春期のショーの恥辱のためか、人一倍羞恥心が強くなり、中学から膝丈より短いスカートは余程の理由がない限り穿かずにきました。
それならばパンツルック、つまり男の人のズボンのような格好をすれば良いのでしょうが、やはり女としてスカートが好きでした。
看護婦時代の友達の中にはミニスカートを穿き、下の下着のショーツが見えても平気な人もいました。
私と反対の活発で明るい人でした。
男の人からも好かれるし、良く声を掛けられていました。
主人と結婚してからその友達に会った時も、ミニスカートで健康的な太股をちらつかせていました。
主人を紹介した時に、主人の視線が友達の太股にチラチラと行くのが悔しかったです。
しかしその後に私が混浴風呂で裸を晒した時後に、主人から褒められました。
小さなタオルで胸と下を必死に隠そうとし、そのタオルも主人に取り上げられ、やむを得ず片手で胸を、片手で下を隠しました。
主人から、胸を手で隠すのは不自然だと言われて胸からは手を外しましたが、下の毛の部分から片手を退けることはどうしても出来ませんでした。
主人はそれを誉めてくれたんです。
その夜に「命令した俺が言うのもおかしいが、あそこを必死に隠してくれて顔を赤くしているお前が可愛かった」と言いながら激しく愛してくれました。
子供が出来てからはなかなか露出はしなくなりましたが、娘が嫁いで二人になってから、再び何度か露出を命じられました。
お笑い事のような露出をしたことがあります。
空気の澄みきった冬の晴れた日に、市街地を見下ろす高台に行き、周りが木の茂みに囲まれた所で裸になるように命じられました。
そして高圧電線の鉄塔に昇らされたんです。
50前の女が全裸で鉄塔に昇るなんて、普通の人は信じないでしょう。
鉄塔の柱に付いている足掛けの横棒を握りしめ、必死に昇りました。
高いところに昇る恐さ、冷たい風の寒さもありました。
でも一番辛かったのは、下の市街地の人が気付いて登ってくるのではないか、と言う不安でした。
その時に主人が「人が来ても俺が無理矢理やらせたと言うから心配するな」と言う言葉が聞こえました。
ああ、主人に任せていれば最後は大丈夫なんだ。
私は主人のために恥ずかしさに耐えてれば良いんだ。
って思った途端にすごい精神的な快感を味わいました。
昇ったのは高さ五メートルほどでしたけど、その高さで鉄の柱にあそこを擦り付け、足掛けの鉄棒の先端で乳首をグリグリと刺激すると言うハレンチなことをしてしまいました。
「貴方愛してるわ、貴方のためにこんな恥ずかしいことをしてるのよ」と正気ならとても主人本人には聞かせられないような事を口走りながらです。
読まれて呆れると思います。どうぞ笑って下さってけっこうです。
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