性が人生の中で大きな位置を占めているとのお考えは分かる気がします。
仕事や普段の生活の事のように表に出すことは出来ませんが、性が原因で時には表の生活にも支障がでるのも確かです。
私がショーで純潔を奪われた事で学校で孤独を感じた事も、無理な貸し出しをされたことで鬱病になった女の人のこともその現れではないかと思います。
反対に結婚して主婦と言う安定した地位をいただき、主人から可愛がってもらうことで、性的な快感と心の幸せを感じた時には、友人知人から「目に見えてきれいになった」と誉められたこともあります。
主人からも「お前のあの時の声を聞くと次の日にやる気がでる」「仕事できつくても、夜はお前とやれると思うと頑張れる」と恥ずかしいですけど、うれしい言葉をもらったこともありました。
子供を妊娠したら、主人との交わりも自ずと制限がありましたが、互いの思いやりで上手く切り抜ける事ができました。
中に入れるのが危険な時期には、主人の発案で自慰を見せたり、手や口で主人を慰める事で主人も満足してくれました。
子供が誕生してくれて、母となる女として最高の喜びをもらいましたが、世間様並みに子供を優先した夜の生活を送りました。
その分、子供が修学旅行等で不在の時には、毎日の子供第一から離れて、私を徹底的に可愛がってくれたものです。
子供が成長して家を離れてからは、改めて新婚の時の様に、色々な性の試みをしてくれました。
体力的に若い時より弱った分を、道具や場所などを変えることで補って、私を十分に満足させてくれました。
恥ずかしい話ですが、主人から混浴温泉に連れて行かれたときは、朝家を出る時から興奮が高まり、脱衣場で下着を脱ぐのが恥ずかしすぎる状態になってしまっていて、それを知った主人もすごい喜びよう。
温泉で盛りを過ぎた身体を他人様に晒した時は、主人には話せなかったショーの事を思い出してしまいましたが、悪い方ではなく思い出す事でかえって興奮が高まった次第でした。
何人もの男の人から裸体を見られ、中には露骨にいやらしい視線を向ける人もいましたし、女の人の中にも私の身体を凝視する人もいました。
主人は「みんなお前を見てる」「羨ましがってるんだ」と私の心をますます燃え上がらせるような話を耳元で囁いてくれました。
温泉から上がり身体を拭くときには、下の方からぬるぬるしたお汁がタオルを汚してしまうほどでした。
すみません、調子に乗って自慢話を書いてしまったようです。
次はもっと冷静に書きますので御容赦下さい。
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