新しい方が読んで下さってとても恥ずかしいと共に内心嬉しく感じます。
本当に今考えると、惨めで悲惨なことでした。
何より悲惨なのは、ショーに出された女の人の殆んどが、今のアダルトビデオのようにお金をもらうために自分の意思で出ていたのでは無く、無理矢理に出されていた事でしょうか。
私のように継父から出されたと言うのも辛いものでしたが、中には実の親から、あるいは実の子供から出された女の人もいました。
たとえ肉体的に苦痛を伴わない小さな姉妹によるレズビアンなどでも、その子供が将来羞恥心が芽生え普通の人の性を知った時に心の中で苦しんだと思います。
何よりも他人に知られるわけにはいかないので、相談や打ち明ける相手がいない事が、何よりも辛いことだったのではないでしょうか。
ショーには土曜日に出される事が多かったのですが、学校の友達は皆、半ドン早く帰れると喜んでいるのに、私一人だけその夜ショーの事を考えて憂鬱でした。
性の肉体的な快楽を知ってしまっても、羞恥心と屈辱感と、そんな変態に快感を感じてしまった自分への嫌悪で辛かったです。
このチャットでも、心無いからか無知からなのか、虐められた経験を告白する女の人に、「快感を味わえて良かっただろう」と語りかける書き込みも見られますが、告白する人の感情はそれほど単純なことではないと思います。
つまらない気持ちを長々と書いてすみません。
当時は今のように簡単にデジタルや携帯電話で写真を撮ることが出来ませんでした。
そのためかショーの途中にクラブの人が責めを受けている女の人の写真を写し、それを売る事が行われていました。
観客の人がカメラを持ち込むのは禁止されていていました。
クラブが写して売る写真は、女の人の顔に目隠しのような黒い線を入れて、個人が特定されないようにしてくれていました。
しかし性器ははっきりと写っており、大人の女の人の写真は法律に触れるものでした。
反面今と違って、当時は下の毛がない子供の裸については問題にならず、私など女の子がはっきりと写った写真を何枚も撮られています。
還暦に近い女の人も「こんな姿を写さないで」と泣いていましたが、縛られて女の子を剥き出しにした写真を写されましたが、けしてきれいではないその写真がいっぱい売れたと聞きました。
自慢ではないのですが、私と母の写真もけっこう人気があったと聞いています。
私と母の写真は、継父がかなりの枚数集めていて、母が亡くなる直前までは実家に有りました。
その後遺品を整理するときには見つかりませんでしたので、母が全て処分してくれたのだと思います。
最後に写真を見た時に、痩せた当時の私の身体にいやらしい道具が突き刺さり顔をしかめている写真を見て、当時の自分に対する嫌悪と、何とも表現しずらい興奮を同時に感じて、涙が出ると共に胸を片手で触ってしまった事を思い出します。
殆んどの写真は白黒でしたが、竹藪で母が裸体で責められてるカラー写真は、 青々とした竹藪とそこに浮き出した美しい頃の白い母の裸体の対比が素晴らしく、いやらしさより美しいと感じました。
母が白人の女の人と一緒に裸で晒されている写真は、白人の女の人が怒ったように叫んでいるのに対して、片足を軽く曲げて女の子を出来るだけ隠そうして俯いている羞恥を含んだ母の方が、スタイルがよく若い白人の女の人より遥かにきれいに思えました。
これも母から聞いたことですが、日本の男の人は女の人を恥ずかしがるように責めるのに対して、外人の男の人は激しい苦痛を与え痛みで泣き叫ぶ女の人を見るのを好むことが多いそうです。
すみません、またつまらない話になりました。
失礼します。
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