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何も分からない幼い私にとっても父の物を口にいれるのは抵抗がありました。どんなに歯を立てないようにしても歯が当たってしまい、その度に増えるお仕置きが怖かったせいもあるのかもしれません。
決まって母がいない時間でした。
父はソファーに腰掛けると私の頭を股間に押し付けて、時には腰を動かしました。喉の奥まで入れられても、まだ大人の物を全て口に入れるなんてことはできないため、手を使う方法を教えられました。
口に入れて舌を動かしながら手でこすったり、玉をもむように指示されました。上手くできないと罰としてお尻の穴を舐めさられたり、ひどい格好をさせた私のお尻の穴に指を出したり入れたりされることになります。
そしてほとんどが、罰をうける結果になっていました。
父からは口止めをされていました。母にも、幼稚舎の先生にも誰にも言ってはいけない事だと。
それでも私は先生に、お父さんとお風呂に入ると、手で体を洗ってくれます。みたいな事を言ったことがありました。
次のお休みの日だったと思うのですが、私は部屋から一歩も出してもらえず、トイレも洗面器でさせられ、一日中裸で部屋の掃除をするように言いつけられました。ご飯も食べさせてもらえませんでした。
それからの私は決して、大人に家のことを話すような失敗はしないようになりました。
父の物を咥えることと、お風呂でもたらされる快楽は私にとっては別物でした。父を恐れながらも、お風呂の時間は恍惚とした気分にさせてくれる唯一の安らぎだったように思います。
股を洗うときにはリンスが使われるようになりました。石鹸でゴシゴシ中まで洗われると、ヒリヒリすると言ってからリンスに変えられました。
ヌルヌルとしたリンスをつけた父の手が、ゆっくりと割れ目をなぞるように動くと、もっと触ってほしくなり足を広げたり、父の手に股を押し付けるようになりました。
寝る前には自分で触るようにもなりました。
初等科に行くようになると、私は父が出したものを飲むようになりました。学校での記憶はほとんどありません。イジメが始まったのもこの頃からですが、初めは仲間外れにされる程度でした。
いつも母がいないときだけだった性的な虐待は、母がいても行われるようになりました。夜中に父が私の部屋にきて、パンツを脱がせると頭を股間につけて、お風呂でもたらされる快楽よりももっと強い快楽と、もっと複雑な罪悪感を植え付けられるようになりました。
まだ何も感じない平らな胸に舌をはわせ、敏感になった割れ目を執拗に舐め、お尻の穴を広げるように指を出し入れされ、まるで野犬のように息を荒げて鋭い目で私見る父、快楽は恐怖でもありました。父は自分の物を私の割れ目に擦り付けて果てるようになりました。
父の変質的な行為は、徐々にエスカレートしていきました。私のお尻の穴には大人の指がすっぽりと入るようになっていました。
そして罰をうけて父のお尻や玉を舐めながら、父のお尻の穴に私の指を入れさせられるようにもなりました。
8歳のときです。普通の家庭なら家族に守られて、わがままを言って、楽しく笑っているはずでした。
同級生達がそうしているときに私は、股を広げて父の口に腰を押し付けていました。自分の乳首をつねって父を喜ばせていました。父の指が黄門を刺激する度に腰をくねらせていました。
私にこども時代はありませんでした。
長く、くどく、申し訳ありません。私の体が穴だらけにされるまでを、長々と書いてしまうと思いますがよろしくお願いします。
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