マイクロバスが旅館に着いたのは、午後6時を回っていた。着くと、町内会長と副会長から大浴場と入浴時間が説明され、その後に部屋割りが発表される。
勿論、僕と母は同じ部屋だった。部屋に入ると、すぐに他のおばさん達がやって来て、『お風呂行きましょ?』と僕達を誘いに来てくれた。
母から話を聞いたのは1ヶ月以上も前のこと。町内の旅行に『着いて来てくれ。』と頼まれた。じいさん婆さんの集まりである。僕は乗り気ではなかった。
『ああ、私達は後からゆっくりにします。先に入って来て。』、おばさん達の誘いに、母はそう断りを入れた。
誘いに来てくれたおばさん達には悪いが、僕達の部屋のユニットバスのお風呂には、お湯がドンドンと入れられていたのだ。
一人サイズの洋式風呂だった。僕が先に湯槽に寝転がると、母は居場所がなく、僕の足元でただ立ち尽くしていた。
股間を隠していた母の手が離れたのは、『手、どけろ。マンコ見せろ。』と僕が2回目に言った時だった。
陰毛も剃られたツルツルのオマンコが今日も顔を出した。こんなオマンコである。恥ずかしくて、町内の方と一緒にお風呂になど行けるはずもない。
今朝の集合時間は7時40分だった。集まりもよく、予定の8時に出発が出来た。すぐに飲み物と袋詰めのお菓子が町内会長から配られた。時間は8時10分。
その10分後には、窓際に座る母のショーツの中に僕の手が入っていた。つまりこの女は、バスに乗り込み、30分もしない間に股間から愛液を放出していたのだ。
トンネルに入ると、より強引な責めとなるため、母は『やめて。』とばかりに手で押さえ付けに来た。しかし、指が2本入ってしまうと、もうどうにもならなかった。
窓に肘をつき、顔は外に向け、苦痛の顔を見せて耐えた。隣を走る車から見たら、とてもいやらしい女に見えたと思う。
結局、旅館まで2ヵ所の見学はあったものの、母の股間が渇くことはなかった。
その放出した愛液も、入浴直後のシャワーで流されてしまった。しかし、立ち尽す母の股間に僕の顔が埋められ、すぐに新しい新鮮な液が放出され始めた。
股間を舐める僕の頭に手を掛けて立ち尽くしていた母だが、自分の股間に刺激を受けてしまい、耐えきれずに身体を壁に預けてしまった。
母の『アァ、アア~、』と発する言葉通りに、オマンコからは大量の液体が流れ出て来る。僕の舌でも、もう受けとめられなくなって来ていた。
僕は立ち上がり、右手の指は引き続き母の股間を慰めに行った。キスを交わすと、母の右手は僕の股間のものを包み込み、前後に動き始める。
母を後ろ向きにして、僕も背後に取りついた。壁に手をつき、お尻を少し上げる動作を瞬時に母は行った。
丸一日、愛撫をされて続けてしまった女の行動だった。もう、欲しくて堪らないのだろう。
すぐに後ろから挿入された。その体勢のまま、母は『ハァ~、ハァ~、』喘ぎ始めた。身体を掴んで、更に突くと『アアァ~、アアァ~、』と声が増した。
おばさん達の誘いを断って、僅か15分後には股間を濡らし、男を受け入れて喘ぐ母。今頃、大浴場でゆっくりと浸かっているおばさん達とは大違いである。
僕はテーブルの上に置かれたポットの中の水を飲んでいた。『冷たっ!』と思えるほどキンキンに冷えていた。
その水を飲みながら、お風呂で股間の奥に大量に出された白い液体を、シャワーで掻き出しているであろう母の姿を想像していました。
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