「仕方ないから、もうお前と生きていくわ。」、母からこんな言葉が出たのは、父が去った日の午後だった。
日曜日の朝、単身赴任の父が帰って来ていた。父と母の雰囲気が普通ではないのを感じる。父は、僕には何も言わずに2時間あまりで出掛けて行ってしまった。
正式離婚は2ヶ月後のことだった。父は、勤務先にいい人が居たようだった。6年も離れていれば、そうなっても致し方ないか。
母は何かをふっ切るように、僕を連れ出した。車中は耐えず無言だった。母にとって男と出掛けるなど何年ぶりのことなんだろうか?
「動いたら、危ないよ。」、ラブホの風呂場で母に対していった言葉だった。母は不安そうに、自分の股間で行われていることに目を向けていた。
ホテル備え付けのヒゲ剃りがジョリと音をたてる度に、大量の陰毛がもぐれついた。シャワーと一緒に、剃られた陰毛が排水口に流れて行く。
僕の手にも何本もの毛がつくが、あまり気持ちのいいものではない。おおまかに刈り取ると、子供のようなオマンコが姿を現し始めた。
これで母も諦めがついただろう。次に、残った毛を剃っていった。剃り残しというものは、案外気になるものだと思う。
「四つん這い。」、そう言うと母は素直に従った。後ろを向き、自分から股を大きく開いてお尻の穴が丸見えである。もう、羞恥心などという感覚はなかった。
アナル付近のだらしのない毛を剃ってやる。シャワーで流すと、見事な無毛になっていた。
ベッドに転がったが、やはり無毛のオマンコに目が移ってしまう。モリマン気味の母の股間、中央に真っ黒な筋が一本入り、口は僅かに開き掛けている。
無毛というのは、やはり不自然である。あまりにもダイレクト過ぎるのだ。陰毛とは、やはりセットのモノなんだろうと思ってしまう。
開き掛けている口に指を延ばしてみた。無防備な股間は、そのまま僕の指の侵入を許してしまう。すぐに、温かくヌルっとした感触があった。
「風呂場で言おうと思ってたけど、お前ずっとオマンコ濡らしてたよなぁ?」と聞いてみた。シェービングクリームが、母の出す液で押し流されていたからだ。
「そんなことないわ!」と母が言うが、「ならこれ、今濡れたんか?」と聞き返す。「そおや。」と平気で嘘をつく。
母の放出した液体は妨げるものが無いために、母の身体を無抵抗に流れ落ち、シーツを濡らしていった。あまりの量に、僕の喉では受けきれない。
「アアッ、アアッ、」の喘ぐ声も大きくなり、液体の色も白く濁色していく。白い固まりのまま、これもシーツに流れ落ちた。
母は何度も身体を震わせ、その度に体位が変わる。股間はとんでもないことになっていた。これを「洪水」と最初に表現した人はたいしたものである。
まさに、その通りだった。
数回、絶頂を迎えたと思われる母。気がつくと、僕の股間に手を延ばして来ていた。パンツの上から、何度も固くなった棒を握ってくる。
「舐めたいんか?絶対に噛まんか?!」と初めて母にフェラチオを要求してみた。噛まれるのが怖くて、一度もやらせてなかったのだ。
イヤらしい目で「うん。絶対、噛まん。」と母が答えた。それを聞き、パンツを脱ぎ、いつでも腰がひけるようにして母に食わえさせた。
丸ごと飲み込み、舌を使い出すまでは安心は出来なかった。
母のその顔は酷かった。棒をペロペロと舐めあげるその姿は、イヌそのものだった。ずっと舌を出したまま、与えられたエサのようにしゃぶりついていた。
「お前、なんやフェラ好きなんか?必死やないか!」と言うと、少し冷静になったのか、おしとやかそうに舐め方を変えた。
「何、遠慮しとんねん!」と言い、母の口の中に押し込んでやった。急なことで、「オエッ、」と吐き出してしまう母。キツかったのか、涙が溢れている。
「やめるなや!ちゃんとやれや!」と言い、母の髪を掴んで顔を向けさせる。目でチンポを確認し、照準を合わせて口に含む。
フェラを始めたのを確認し、頭を持ち、腰を前に出した。「オエッ、」、やはり吐き出してしまう。「なにしとんねん!ちゃんとやれ!」と言ってやる。
今度はかなりガマンしていた。涙を流す母の口は、チンポを刺激するための、ただの穴と化していた。「もう出来ん、」そう言い、その度に何度も口に含んだ。
もちろん、最後は後ろから犯ってやった。突かれる度にオマンコから放出した液体は、シーツの中央で固まりになってしまっていた。
最後に「お前がしてくれんから、私もうピルを飲んでるわ。」と嫌みたらしく言っていました。
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