昨日の報告をします。
今後、毎月の勤めは、理事さんの自宅で行われます。
たまに場所を変える事があるとは言われてますが、基本的には理事さんの自宅で抱かれます。
出来るだけ早い時間という事で、主人と子供を送り出した後、支度して出かけ、理事さんの自宅に着いたのは、朝の九時半でした。
理事さんは、奥さんを亡くされ、二人の娘も結婚して、同じ市内と隣の市内に済んでいます。
週に三日 掃除と炊事洗濯に来る家政婦さんが来たり、娘さん達も世話をしにいたりしますが、私が行く日は、誰も来ないように手配してあるとの事です。
広い自宅に一人で住んでいて、娘さん達の部屋や客間、応接間等の他に、理事さんの仕事や趣味の部屋がいくつかあり、その一つを私を凌辱する為の部屋にしたんです。
大きなベットに私を辱める為の器具や道具を収納し、私の手足を拘束したりする為の丈夫な手摺りのようなバーがあちこちに設置され、そこから張られたロープについたフックを革製の手足や首に着けさせられた手錠のようなバンドに掛けられ、手足を拘束されて身体の自由を奪われた形で、身体を嬲られたりしました。
ユニット式のシャワールームも隣接されて、簡単に身体を洗い流す時は、そこを使いました。
凌辱された全裸姿のまま、一階まで歩かされて、広い浴室を使われたりもしました。
誰もいないとはいえ、他人の家で全裸姿のまま、連れ歩かされるのは、心細く、羞恥心が沸き上がりました。
理事さんの家に入ったら、玄関先で服を全部脱がされ、玄関にあるクローゼットに、下着までも収納されてしまい、帰る時まで、一糸纏わぬ全裸のままで過ごさせられました。
私は理事さんの家に月に一度の勤めに来た時は、理事さんの奴隷であり、服を着るなど許されないと宣言されました。
一糸纏わぬと言いましたが、手足首と首に、革製のバンドを、手錠・足錠・首輪のように着けさせられました。
これらに、部屋にあるロープのフックを掛けられて拘束されました。
また、首輪にロープを掛けられて、犬のように家の中を連れ歩かされました。
玄関先で、そこまで装備されて、二階の部屋まで連れて行かれました。
部屋に入って、まずさせられたのは、理事さんの服を脱がす事で、全部脱がしたら、立ったままの理事さんの前にひざまづいて、フェラ奉仕をさせられました。
体勢が苦しかったですが、パイズリもさせられました。
その後、天井から吊されたロープに両手の手錠を掛けられて、バンザイした無防備な状態にされて、廻りをグルリと廻って眺めた後、身体を嬲られました。
その最初の責めだけで、達してしまいそうになり、焦りました。
まだ、羞恥心も屈辱感にも慣れず、頭も理性も感情も、はっきりした初期の段階から、惨めで、恥辱的な絶頂に達する事には抵抗がありました。
そんなに長時間嬲られた訳でも、道具なんかも使われた訳でもないのに、身体がそんな風になるとは思ってなくて、自分の身体ではないような、異様さに驚き、焦り、必死で耐えました。
喘ぎ声を必死に堪え、身悶えする私の反応に理事さんは、随分と敏感な身体になってきたじゃないかと言い、そう言われた事で、私は自分の身体の変化に、ぞっとしました。
私の身体は理事さんに凌辱される事を悦びに感じるようになってしまったのかと、絶望感を味わいました。
立たされたままの嬲りには、なんとか耐えましたが、ベットに大の字に拘束されての責めには耐え切れずに、まだ羞恥心も屈辱感も薄れない状態で、惨めな絶頂に襲われました。
私が達しても、理事さんの責めは途絶えず、バイブやローターを各所に設置されたまま放置され、身悶える姿を暫し眺められ、喘ぎ声を漏らす口を塞がれるようにして奪われて、口内を舐め廻され、顔中を理事さんの唾液で、ベトベトにされました。
徐々に下に降り、乳房嬲られ、乳首を吸われ、全身を舐め続けられて、最後にクリトリスをしゃぶられて、二度目の絶頂に達しました。
バイブやローターを作動され続けたままなので、絶頂に達している時間が異様に長く続いて、気が狂うかと思うような絶頂感でした。
その二度目の絶頂から、私の理性と頭がぼやけ始めました。
ロープが外され、私は両手の手錠同士を後ろで繋がれ、後ろ手に拘束され姿で立たされ、ベットに横たわった理事さんへの奉仕を命じられました。
両手が使えないので、四つん這い状態を顔で支え、理事さんの足の間に入り、口だけで奉仕をしました。
延々と奉仕を続けさせられました。
身体を支えるのが苦しくて、限界に達しそうになった時に、体勢をシックスナインの形にするように命じられました。
私は体勢を入れ替え、理事さんの顔を跨ぐようにして、股間を理事さんの顔の上に晒し、理事さんの性器を口に含みました。
腹筋も背筋も、さっきの奉仕で疲れ果て、身体を支える事ができず、理事さんの身体に 俯せにベタッと横たわるしかできず、口に含んだ理事さんの性器を、私の喉の奥まで飲み込む形になり、頭は僅かにしか上げられずに、私の口内は、理事さんの性器で、一杯一杯でした。
満足に動けませんでしたが、理事さんは、それで良いらしく、その体勢のまま、自分の顔の前に晒け出された私の性器を眺めたり、弄ったり、舐めたり、嬲ったりを続けました。
私は膝までもがガクガクと奮えだしました。
苦しい体勢での苦痛と、緩慢に沸き上がる快感で、私は自分の身体がどういう状態でいるのかさえ、分からなくなりました。
その体勢から解放された時、すぐには立ち上がれない程でした。
それから、部屋に隣接されたシャワールームに行き、狭い中に二人で入り、私は理事さんの身体を洗わされました。
両手は後ろで拘束されたままで、舌で全身を舐めるようにして洗わされました。
次に私の身体を嬲るように洗い流され、ベットに俯せの状態で拘束されました。
暫く性器を嬲られて、溢れ出た愛液をアナルになすりつけられて、アナル責めが始まりました。
鳥肌が立つ程の悪寒が走りましたが、身動き出来ないままに、指で散々嬲られた後、細い棒のような物をアナルに突き立てられました。
それがアナルバイブという、アナル専用のバイブだったようです。
時間を掛けて、根本まで挿入され、ゆっくり抜き差しされて、滑りが良くなった所で、スイッチを入れられて、バイブを振動された途端に、身体がビクッとなりました。
苦しい、痛いだけだったアナルに痒みのような快感を感じて、私は戸惑いました。
こんな変態的な行為に快感を感じる自分の身体が信じられず、信じたくなく、必死で紛らわそうとしましたが、バイブの振動に強弱をつけられるようになって、その振動がクリトリスに伝わり、ますます快感が高まり、身悶えして堪えようとしましたが、アナルにバイブを振動させたまま放置した理事さんが、私のクリトリスを責めてきて、一気に高まった快感に耐えようとする気力が追いつかずに、屈辱的な三度目の絶頂に達しました。
アナルだけでもイクように仕込んでやるからな、という理事さんの言葉に、絶望的になりました。
俯せの体勢で、アナルバイブを放置されたまま、達したばかりの身体に追い撃ちをかけられるように、理事さんの性器が私の身体に突き立てられました。
この日 最初の凌辱です。
理事さんの性器が私の体内に侵入してくるのが、今まで以上に征服的な感じがしました。
根本まで挿入されて、アナルバイブを抜かれ、押し潰されるようにして、理事さんの身体が私に覆いかぶさり、首筋を舐められながら犯されました。
ゆっくりとした緩慢な責めでしたが、立て続けにイカされた身体は異常に敏感になっていて、その責めに私に残っていた僅かな抵抗力は消されて、快感を堪えようとする意識と気力はなくなり、沸き上がる快感に無防備になりました。
その後は、される事全てに敏感に反応するようになってしまい、理事さんからの 淫乱に堕ちてきたなという言葉に、自分の身体の惨めな性を感じました。
私は昔から不思議に感じていた事がありました。
快感の強さは女の方が強いと思うのに、今の世の中 男の性欲が強調されている事が不思議でした。
勿論、例外だとか、個人差、カップルさがあるとは思いますが、女の方が性に対して貪欲であっても不思議じゃないのに、自分の感情に照らし合わせても、躊躇や嫌悪感を感じるのは なぜだろうと。
昨日 理事さんの責めを受けて、女の方が快感が強く、尚且つ 性に対して躊躇等を感じるのは、こうして男の凌辱に対して 弱さを晒し、支配・征服される為なんじゃないかと。
少なくとも 昨日の私は理事さんからの責めで、理事さんに征服され、支配され、屈服させられた気がしました。
背後からの凌辱では理事さんは達しずに、私を全裸で後ろ手のまま一階の浴室に連れて行き、シャワーを浴びた後、浴槽に一緒に入らされて、背後から抱きつかれるようにして、身体を弄ばれながら、唇を奪われました。
浴室の中でも挿入されましたが、そこでも達しず、ベットに戻ってから、両手をバンザイ状態で、両足を頭の上まで引き上げられた大股を広げた惨めな姿で拘束されて犯されて、四度目の絶頂を迎えて、理事さんは達しました。
拘束を全て解かれ、私を凌辱した理事さんの性器を舌で清めさせられました。
休憩する理事さんの前で、オナニーをさせられました。
本気でイクまで何時間でも やらせると言われましたが、私の身体には、そんな抵抗力は残ってなく、私の理性もなく、指を這わせた途端に感じた快感を貪るように最初から本気でオナニーをしてしまい、理事さんに休憩にもならなかったと言われるほど、呆気なく達してしまいました。
それから理事さんにバイブやローター、アナルバイブまで使われて、散々嬲り抜かれて、身体が絶頂状態で固定されたみたいに悶え続けさせられて、気を失いました。
失神していた時間は僅かなようでしたが、快感で失神するのは知識で知ってはいましたが、身をもって体験したのは初めてでした。
帰る時間になりましたが、腰が抜けたように身体に力が入らず、すぐには立てませんでした。
何とか立ち上がり、玄関先で服を着ている時には、羞恥心が蘇り、惨めさ、屈辱感を味わい、帰路 廻りの人々が私の惨めさを知っていて、蔑んで見ているような気がして仕方ありませんでした。
全身がまだ敏感なままで、電車の振動でさえ、私の身体を苛むような気がして、へたり込みたい気持ちを何とか持たせて帰りました。
昨日は、報告を書き込む気力がありませんでした。
来月分が もう間もなくあるのが、辛いです。
それまでに身体が回復していないような気がして仕方ありません。
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