起、承、と綴られた投稿に、転、が訪れるのは必然であるが… ある意味、本人にとっては、この転こそが始まりであり、それが結に至るであろうかは誰も知る由はないと言ったところであろうか。
学生時代から旦那と二人で過ごしてきた本人にとっては、夫婦の思惑こそが絶対的な選択肢であり、そこには意見の相違などなかったかも知れない。
それは日常生活のことは勿論のこと、夫婦の営みにまで及んでいたが… 蛇に唆され禁断の実を食べたイヴの如く、旦那の知らない本能のままに欲望を満たす世界を身を削って知ってしまった本人の中では、絶対的な選択肢が脆くも崩れさってしまったんだろう。
旦那の肉棒しか知らなかった膣壁は、押し広げるほどに膨張しながら子宮を貫く肉棒の存在を認め… 心の故郷と称した肉体の交錯にかまけた結果、交尾の本質と、それがもたらす快楽をその歳になって初めて知ることになったのではないか。
事件が何かを狂わせ、壊してしまったと感じるのは、今までの二人の価値観に対して未練を持つ本人の理性が説得を試みているからであろうね。でも、現実は貴女が言うように強風の中に一人立ちすくんでいる状態で、その強風とは背徳の嵐に他ならない。
強風を避けるべく歩き出せば、今の貴女はたちまち肉欲の迷路に入り込むのではないか… 強風の流れを上手く取り込んで立ち回れるまで、ここにくさびを打って耐えるのも、きっと一つの選択肢であろうな。
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