最初に書き込みをしてから2カ月が過ぎました。年も新しくなり、私も、気分一新しようと決意しています。昨年の末に引越しも終わり、実家から少し離れたところに越しました。仕事も12月いっぱいで退職し、今月からは失業者です。
前回の投稿で、書き込みは終了しようと思ったのですが、気分一新のためには、十分に心の中のものをはきだしてないのではないかと不安になり、やっぱり力也という男のことまで話さなければならなという強迫観念のようなものをずっと感じていました。
私が退職しようと思った理由は、以前も書きましたが、一つは猛君のことです。中学時代の進路面談で、あのような(彼とキスをしてしまった)ことさえなければ、猛君の性格も、そしてその後の事件も起きなかったと思っています。その原因を作ったのは私だという自責の念が一番です。二つ目は、剛の暴力的な支配、屈辱的な命令に対して抵抗することができず、しかも、レイプされたにもかかわらず、犯されたにもかかわらず、恥ずかしいのですが、感じてしまい、いってしまったこともあったのです。この、背徳感が、私自身を教職から身を引かせる要因となりました。
退職の申し出は12月になってからで遅かったのですが、校長先生は親身に相談にのってくださり、なんとか3月まででの退職で承諾をいただけました。教員の異動は早く、11月中に管理職の面接で意向が聞かれます。もちろん、異動が決まっても子どもたちに話すことはなく子どもたちは、4月の始業式になって、異動した先生を知ることになります。私も二重の意味で、退職することを隠していました。一つは守秘義務ですが、もう一つは、、情報が洩れて彼らに伝わってしまうことを恐れたのです。
3月はいろいろな行事があり、一つ一つが教員として最後だと思うと、なんとなく名残が惜しくなってしまいます。もちろん、その間も、剛と猛、二人との暴力的な関係は強いられていました。冬は彼らの仕事も忙しいらしく、休みなしの日が多いようで、月に2度くらい、バイクでの集会も冬はないらしく、土曜の夜に来ました。
1月はもう私の方が、剛の暴力に屈服していました。抵抗して殴られるのを恐れ、いいなりとなっていました。前にも書いたように、彼らはスカートを好んだので、彼らがくるときは(つまり週末)はスカートで過ごすようにしていました。彼らが来ると、玄関でフェラチオのご挨拶をさせられます。まずは、先輩の剛のものからです。しかも、私がズボンのチャックをさげ、彼のものをとりだして口に含みます。しかも、「おしゃぶりさせてください」という言葉も言わさるのです。最後は「ミルクを口に出してください」と言わされました。最初は抵抗しましたが、抵抗するたびに顔を殴られたり、腹をけられたりするので、素直に命令に従うようにしました。同じように猛君のもおしゃぶりしました。彼は自分でチャックをおろして出してくれるので、屈辱感はなかったです。でも、猛くんのものをおしゃぶりしていると、剛が後ろからスカートをまくり、下着をさげて、指で私の下半身をいじってきます。指を入れられ、猛君が射精する前に、私がいかされてしまったこともありました。
そんなことが続いていたので、私は退職を秘密にして、3月25日の修了式が終わったら、春休みは年休(有給休暇)をいただいてすぐに郷里へ帰ろうと思っていました。ただ、飛行機のチケットは、いつも取らずに乗れていたので取りませんでした。私の退職を知っている本当に仲の良い3人の先生が、送別会を開いてくれるとのことで24日に会をもつことになりました。
ところが、ちょっとした事件が起きてしまったのです。新学年の学級編成は、3学期中に行うのですが、もちろん、私の学年も、私が退職するので早めに編成を行いました。しかし、編成が終わりかけていた時、教頭から転入生が一人くると言われ、やり直すことになってしまったのです。その転校生が力也でした。3月までT県の少年院にいて、退院して戻ってくるとのこと。もともと、私の学校にいた子ではなく、他の中学校にいたのですが、市内のどの校長も引き受けたがらず、生活指導担当の校長だった、私の学校の校長先生が引き受けたとのことでした。そんなわけで、編成がずれこみ、4人だけの送別会も25日の修了式後に変更せざるをえませんでした。私はいやな予感もあったのですが、好意を無視にするわけにもいかず、26日朝の便で帰ろうと予定を変更しました。
それが案の定、大きなあやまちでした。25日、本当に仲の良かった音楽・数学と養護の先生n送別会をしてもらい、そんなに遅くならない時間に自宅に戻りました。すると、家の前に2人の男が・・・。もちろん彼らでした。私の部屋はマンションの2階の一番奥、その廊下に座っていました。隣の部屋の目もあるので、すぐに中に入れました。すぐに花束を奪われ、頭を剛に押さえつけられて、しゃがまされました。フェラチオの強要でした。もう、すべての計画が無駄になると思い、頭の中が真っ白になってしまいました。猛君のをしゃぶり始めた時に、いつものようにスカートをまくられ、今回はストッキングをはいていたので、剛が切れました。「ストッキングをはくなっていっただろう」とストッキングごとショーツも脱がされ、いきなり挿入されてしまいました。このときも、恥ずかしながら途中からはャ濡れてしまい、剛からそのことを揶揄され、また、泣き出してしまいました。私がなくと、剛が興奮するのはわかっていたのですが、なんだか、どうしようもなくなって声を出して泣いてしまいました。
そんな中で剛が腰をグイグイ押し付けながら「退職するって噂があったけど、本当なんだな」と聞いてきます。私は首を縦にも横にもふれずにいたのですが、「この花束はなんだよ」と言いながら、バックから突き上げられ、首を縦に振ってしまいました。剛は「まさか、とんずらするつもりだったんじゃないだろうな」と私の髪の毛をひっぱり、自分の方に顔を向かせて聞いてきました。
私は、家の荷物の片づけはしていませんでした。引越しの作業をしたら、それこそ彼らに知れてしまことになるので、2~3か月はこのままにして、部屋を解約しないで置いておくつもりでした。彼は私がうなずいたのをみて、挿入していたのものを引き抜き、四つん這い状態の私のお尻を蹴り飛ばしてきました。玄関の壁に激突し、そのまま、リビング兼ダイニングへ連れていかれました。そして、剛が私に馬乗りになり、着ていた洋服を脱がされてしまいました。終了式の日でもあり、ちょっとしたスーツだったのですが、スーツも、ブラウスも、ブラジャーも激しくはぎとられてしまいました。「逃げられないようにしてやる」と白目をむいて凄まれ、スカートをはいたままで挿入されてしまましたすごく激しい腰の動きに、私の下半身は壊れてしまうのではないかとおもうくらいでした。さらに、彼は私の中から引き抜き、今度は強引に口に突っ込んできました。。それは、すごいきついフェラで、口の奥までおちんちんを突っ込まれました。呼吸ができないくらいで、死ぬかと思い、必死になってかれのおちんちんを吐き出します。呼吸が苦しくぜいぜいしていると、また突っ込んできます。下に入れられているときと同じように、口にくわえさせられながら、腰を動かして喉まで突いてくるのです。そんなことが何度も繰り返されました。そして、最後には喉の奥へ射精されました。猛君にも、同じようにフェラチオをしました。やはり口の中にだされました。交互に何度も口の中で果てました。そして、剛が浣腸器をもってきて浣腸されました。浣腸器の置き場は、もう彼らは知っているのです。浣腸は何度されても、慣れません。「いやです。」「お願い、やめてください。」と哀願するのが、彼らにはたまらないらしく、何度も、何度も注入されます。ほんとうに苦しいのですが、さらに、地獄がまってました。いつもはトイレでするときは、ついてこないのですが、この日はトイレまで入ってきて、私の排泄する姿を見るというのです。私は、恥ずかしくて、排泄することすらできず、苦しくつらい時間を我慢しなければなりませんでした。我慢の限界で、最後は剛の前で排泄してしまいました。さらに、隣のバスに行かされ、なんと剛は彼のおしっこを私にかけてきたのです。私が顔をそむけ逃げ出すと、捕まえられ顔を押さえつけられ、顔にかけてきました。その後、シャワーを頭から浴びせられ、口元には呼吸ができなくなるくらいの時間浴び続けられ、死んでしまうのではないかと思えました。この男の恐ろしさを身に染みて感じました。そして、最後は何度も何度もセックスでいかされてしまいました。つい数時間前の送別会とは天国と地地獄でした。剛は寝るときに、いつもプレイで使っていたおもちゃの手錠を私の手と猛君の手につないで、私が逃げないようにして寝ました。私もぐったりして、逃げ出すどころか、朝まで寝てしまいました。顔の前に異物を感じて目覚めました。剛がおちんちんを私にしゃぶらせようとしていたのです。「お目覚めの一発だよ」と言ってフェラチオをさせられました。剛は、猛君にもやるように命じ、猛君のもしゃぶらされ、口に射精されました。
そして、腹が減ったから朝飯を作るように言われ、すこしばかりのパンとウィンナー、ゆで卵を作りました。子どもだから、こんなもので喜ぶだろうと思ったのです。作ってる最中も、後ろから胸をわしづかみにされたり、キッチンに手をついてお尻を突き出すように言われ、剛が挿入してきたりするのです。そして、食べている途中に、剛に突然「来い」と呼ばれ、「先生も腹減っているだろう・」と急に優しく、にやにやしながら言うのです。私は、この男は何か企んでると思い「はい」とも「いいえ」とも言わなかったら、「卵でも食えよ」とゆで卵を前穴のほうに押し込んでくるのです。あらに、ウィンナーも後ろの穴に押し込まれ、「いやです。やめてください」というと、「自分でだせよ」とケラケラ笑いながらいうのです。りきむとウィンナーはだせたのですが、前穴のゆで卵はうまくだせません。すると剛は、「先生、喉もかわいているだろう?」と浣腸器を持ち出し、テーブルの牛乳をチュルチュルとすいあげました。察した私は、「お願い。やめてください。」と懇願しましたが、「うるせぇ」と一喝され、テーブルの横で四つん這いにされて牛乳で浣腸されてしまいました。お風呂場で、彼らの前で牛乳を排泄。昨晩の浣腸以後、何も食べていないので、出るのは牛乳ばかりでした。
こうして3月下旬、彼らの仕事も忙しくなくなったようで、私の帰郷計画はとん挫してしまいました。
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