最初の2か月くらいは、どの会社も同じだと思うのですが、会社の実態を知らないうちは何もかも新鮮なんです。まだハラスメントしてくる連中も、私がどういうタイプなのか見定めている時ですから。そしてその頃くらいから小言が始まるんです。アレ出来てない、コレ出来てない。という具合に。それはできなくて当然なんですけどね。なぜなら「教えられた事ないから」でもそんな事を言おうものなら、「いい訳だ」「俺らの時代は先輩の動きを見て覚えた」と言われ、とどめに「分からないならちゃんと聞け」と言ってくるんですw もはや定番wwきっと男の子の新入社員は、このタイプのパワハラを延々と続けられ、場合によってはこずかれたり、胸ぐら掴まれたりするそうです。ただ私の場合は性別の問題で暴力という形で手を出されるという事はなかったのですが、別のやり方でハラスメントを受けました。他はどうかしりませんが私の勤めていた会社の制服は、下から順に黒のパンプス、ストッキング(黒かベージュまたは生足でも可能)黒のタイトスカート、白ブラウス、黒ジャケット、黒ネクタイが基本なのです。別にこの恰好でもデスクワークしかしないならコレはコレで構わないと思うのです。しかし、私の仕事はデスクワークだけではありません。「色々な動作」をしなければならない仕事なのです。その中で、ほとんどの男性社員は私のパンチラを見ようとしていました。例えば、故人を病院にお迎えに行き、ストレッチャーから地面の安置布団に寝かせる作業をするとき。この時絶対にしゃがまないと行けないのです。というかしゃがまないと腰を痛める。大きい故人なら他の人がやってくれるのですが、入院生活が長い、施設での生活が長い、あるいは緩和ケア病棟、ホスピス病棟の人なんてもう数十キロしかないので私でも運べるのです。ストレッチャーからタンカのアルミパイプを掴み、ヨイショっと安置布団の隣にタンカを置く。そしてシーツを掴んで、さらにヨイショって安置布団に乗せた後、シワしわのシーツを調える時に。。。パンチラしちゃう仕組みになっています。ここで大の男が恥ずかしげもなく、セクハラ発言をするのがこの会社でした。A「黒のストッキングはやめたほうがいい。これはベテランのおばさんが履くものだから」B「いちいち見てねーからちゃんとしろって!故人落としたら始末書モンだぞ!」C「あw 白パンツw みえちゃった♪」まー、、いろんな反応を示す人がいるものですよ。黒ストッキングはくなってww それただに見たいだけなんじゃwww なんて思っていました。他にも、病院のベッドからストレッチャーに故人を乗せ換える時、私は基本足元にいくのですが、(先輩が頭元)必要以上に私に接近し、肘をつかって胸を触ってくるとかwこのあたりも最初のほうは上司に相談したりもしたのですけど、「気にしなくていいんじゃない?誰もわざとやってる奴いないと思うからさ。もしそれでも気になるならまた相談して」で終わり。つまり、「そんな事いってたらこの仕事できねーだろうが」ってのが本音です。そのうち(言っても無駄か・・w)と諦めてくるんです。でもこのあたりってだんだんと慣れてくるんですよ。パンツはパンツで見えてもいいようなシンプルなスポーツ系のものにするとか、胸とかはもうあきらめる。いちおう看護師とか見ている前ではやってこないし。オッサンだから仕方ない。という事で視線を使ったセクハラなんてどうも思わなくなってくるのす。言い換えれば私の正常な神経が崩壊してきているだけなのかもしれませんが。そして本格的なセクハラを受けたのが入社して半年目くらいですかね。私、運転していた寝台車で他業者の霊きゅう車のバンパーをこすった事があったんです。それを見ていた上司が、、「今このタイミングでこすったとかなったらヤバイから、俺がやったって事にしてあげる!」って私をかばってきてくれたんです。そりゃめっちゃうれしかったです。こんな優しい人いたんだ!!!!って。それは自称、社長と古くからの知り合いという50代のオッサン管理職でした。オッサン管理職曰く「俺が社長にいったら、いいよwそれくらいww ってなるから。今、入社してまもないキミがそれやったら評価さがるしボーナスも少なくなるからさw」なんていうんです。その人が社長に詫びて「いいよwそれくらいw」ってなるっていうのなら、「スミマセン、、お願いします。。」って
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いう間でもなく、あの一件からオッサン管理職と先輩Aには目をつけられました。言葉によるセクハラなんて当たり前。そしてまだまだ仕事が一人前でない私がおこしてしまった失敗を、オッサン管理職か、先輩Aがもみ消してくれる。その変わり、、、フェラでのご奉仕。パンツ贈呈。アソコを下着の上から触らせてあげる。の3本立てで対処していきました。入社1年、いや入社1年と半年目の私の精神状態はボロボロで、仕事に行くために全てのエネルギーを消費し、それ以外の休日や自宅で過ごすときは、もう完全な病人でした。自分の部屋に入るや否や、着の身着のままベッドに寝転がり、インターネットで目的もなくネットサーフィンをし、知人友人からの連絡の返事も一切せず、(酒に酔って気分がいいときだけ連絡する。それ以外は人間付き合いが億劫)それから寝る前にレキソタンという錠剤をのみ薬の力を使って泥のように眠る。そして朝になればソラナックスという錠剤を飲んで気持ちを落ち着かせて出社。こんな状態でよく車の運転なんかしてたものだなぁと今では思います。そんな感じでボーっとしているので仕事中に小さな失敗を数多く繰り返し、それをオッサン管理職や先輩Aに性的奉仕をし、もみ消してもらいました。だけど、失敗が多い割には給料の基本給は上がっていき、仕事も自分から率先してやる立場から、他の人に指示する立場へとなっていくのです。当然の如く周囲から反感を買い陰口を言われる。そして周囲から孤立すればするほどオッサン管理職と先輩Aとの距離が近くなっていくのです。そのうち仕事の失敗だけでなく、飲みに行った帰りに、「風俗言ったら高いから」という理由でフェラを求められる。こんな状態でも周囲に私の状態を気付かれるまでには至りませんでした。それは一応、私がどれだけ精神を病んでいるとはいえど、出社前には髪の毛をセットし、薄くメイクをし、ちゃんとアイロンのかかった制服で、見た目だけは清潔感を保ち仕事に行っていたからだと思います。不思議な事に私はここまでおかしくなり始めてました。最初は戸惑いながらも断りきれない状況に追い込まれていた感覚が、気が付けば(どうせHな事するならコッチも楽しもう)なんて思い始めていたのです。きっと睡眠薬を飲んで、さらに酒でもあおっているから脳へのダメージがそんな発想を引き出しているのだと今では思います。とにかく、なんでもポジティブに考えないとやっていけない。(どうせフェラするなら射精までのスピードの新記録を狙ってみようか・・・w)(いきなりTバックとか渡したらどんな反応するんだろうな。。w)(ノーパンで仕事してみようかなw)と、頭の中がバカげた発想で満たされて行くのですが、実際にはそれを考えている間がとても楽しいのです。それから私はTバックを着用する事も多くなりました。自らフェラ動画を見てフェラテクニックの研究をしたり、仕事中に会社のトイレでオナニーをするようにもなっていきました。私・・・が暴走しはじめていたのです。そんな時、とうとうオッサン管理職と先輩Aが、「今度、3人で飲み行こうよw」と言ってきたのです。私は「いいですよw」と快く返事をし、死亡連絡が入らなかったその日、私はオッサン管理職と先輩Aとの3人で飲みに行ったのです。そして酒の席で、オッサン管理職と先輩Aがつながっている事を正式にカミングアウトされ、いろいろ感謝の気持ちや、普段申し訳なく思ってるという事や、だからこそ待遇はこれからも良くしていくから。(つまりこれからもHなサービスよろしく)などと彼らは並べ立てていました。ですが、私にはそんなことは興味ありませんでした。この後3Pするのか、しないのか。それだけが唯一の関心事でした。もともと、私自身この飲み会に参加する前から、頭の中では(入れられながらフェラするとか、左右交互にフェラをするとか出来るのかなーw)なんて思っていたのです。当時の感覚で言えば、3Pなんて普通に体験しようと思っても出来ない事であると思います。私だって当時、24、25歳でしたが、それまでの人生経験で変わった事といえばせいぜい留学先でアメリカ人の同級生とHした事、、、くらいしか変わった事はありません。会社の中でフェラしたり触らせたりする事に慣れてしまっていた私にとって、これ以上の刺激といえば3Pレベルの事くらいしかなかったともいえます。(それだけ機能停止した脳は刺激を求めていたのかもしれません)
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