あの女たちに犯されたのは、僕がまだ思春期に差し掛かった頃でした。
当時、僕は人には言えない恋をしていました。
相手は、三十代前半で、当時の僕にとっては母親に近い年齢の人でした。
彼女との出会いはそれからさらに数年前に遡ります。
当時、僕は親の旧友が開いている、ある習い事の教室に通っていました。
そこに臨時の助っ人として加わったのが、のちに僕と付き合うことになるミカ先生でした。
正直、同年代の子達の中に溶け込めず、教室には嫌々通っていたのですが、ミカ先生は僕に随分と優しくしてくれたので、その時期だけはすごく楽しかったのを覚えています。
しかし、僕に優しかったのには理由があり、ミカさんは所謂ショタコンというやつで、数年後の再会の時に知ったのですが、当時から僕を異性としてみていたそうなのです。
再会した時に、「〇〇の発表会の時に初めて手をつないだよね」、「あの時ジュースで間接キスしたよね」、「教室を辞める時に告白したけど、ゆう君は答えてくれなかった(単に意味が理解できなかっただけだと思いますが…)」みたいな思い出話を延々と聞かされて、彼女の本意に驚いた記憶があります。
実は当時ミカさんは、都会でのOL暮らしに疲れて実家に戻ったばかりの頃だったそうなので、幼かった僕がある種の癒しになったのかもしれません。
さて、偶然の再会をきっかけに、当時、ミカさんが実家から離れて住んでいるアパートに足繁く通うようになり、やがて僕たちは男女の関係となりました。
まだ思春期に差し掛かった頃で、クラスに一組カップルがいるかどうかの時期です。クラスでもおとなしく地味だった僕が、早々に童貞を喪失するのですから、なんだか不思議な感覚でした。
ミカさんにとっても大学以来、人生で2人目かつ10年ぶりくらいのセックスだったようです。
ミカさんとしても、自分たちの関係を誰かに自慢したかったのでしょう。
この時期に2回、高速バスに乗せられて、その地方で最大の隣県の街まで二人で出かけたことがあります。
まだネットがそんなに普及していない時期でしたが、そこではネットや口コミで知り合った、ミカさんの同好の士によるイベントが開催されていました。
大人の女性と少年とのカップルが5~6組、ミカさんと同じような趣味の、フリーの女性が10人ほど参加していました。女性たちは肉食系のお姉さんから、オタク系の地味なお姉さんまで様々でした。
カップル参加の男の子たちは、ほとんどはガッチリした中高生ばかり。ただでさえ、年若い上に見た目も年齢以上に幼い僕は、「その年で本当にえっちできるの?」とか、お姉さんたちの質問攻めにあいました。シャイだった僕に替わり、質問に答えてたのは、ほとんどミカさんでしたが、照れ臭くも嬉しかった記憶があります。
そして、その2回目の会合で出会ったのが、のちに僕を犯すことになるAでした。歳はミカさんと同じぐらいで、体型はぽっちゃりだけどメイクはバッチリしていて、いかにも田舎のホステスといった感じの女でした。
彼女はミカさんがいない隙に、僕に鍵付きのBBSのアドレスを渡してきました。正直、ミカさんだけでなく他の年上のおねえさんからも興味を持たれることに嬉しさを感じてしまいました。
早速、買ったはいいもののほとんど使用していない我が家のPCを使って、僕とAとのやりとりが始まりました。もちろん、ミカさんには内緒で。
やがて、「今度はミカさんに内緒でゆうくんに会いたいな」という話になっていきました…。そこで嬉しく思ってしまった僕が馬鹿でした…。
町のはずれでの待ち合わせの日、驚いたことにA以外にBとCの二人の女性が一緒でした。歳はいずれもミカさんやAと同年代。「二人ともゆう君のことを話したら、一度会ってみたいと言ってきた」とAは説明しました。
やがて、僕らを乗せた車は、隣町の山中のキャンプ場のログハウスへと着きました。
着いた途端、運転手のA以外は飲酒や喫煙を始めました。
当然ながらすぐに、話題は性的な方向へ…。
「ミカさんとは最近いつしたの?」、「男の子なんだから、他の人ととも一度は経験しなきゃ」そう言いながら、僕の身体に執拗に触ってくる3人をみて、幼心に自分を犯す気なんだと認識しました。しかし、女性とはいえ大人3人に囲まれて、恐怖で動くことも抵抗することもできず、やがて羽交い締めのような格好にされてしまいました。
3人はズボンの上から僕のアソコを触ったり、逆に僕の手を自分たちの胸や性器に当ててきましたが、緊張と恐怖のため勃つことはできませんでした。
彼女たちもそれは想定の上だったのか、次は仰向けになった僕の顔の上跨り、むき出しになった自分の性器を押し付けてきました。
ミカさんにもそんな乱暴なことをされたことのない僕は、苦しさと嫌悪感で顔をそむけようとしましたが、「男の子なんだから女を気持ちよくさせなきゃダメでしょ!」「私たちのは舐めたくないって言うの!?」といったような内容を罵声のように浴びせられた、嫌々ながらもクンニをさせられました。
仰向けの体勢のまま、順次に強制的にクンニをさせられたのですが、二人目のBが、興奮しすぎたのかイってしまい、僕の口の中に潮をふいてしまいました。すぐに吐き出そうとしたのですが、他の二人から「ダメでしょ!ちゃんと飲め」という声が怖くて、飲み干すことになりました。
その後も、彼女たちは交代で僕に舐めさせながら、どうにか勃たせようとしてきましたが、結局、その日はどうにか挿入には至らず、そのまま解放されました。
別れ際に、満面の笑みで「ミカさんには黙っておくからね」という言葉を投げかけられ、僕はようやく自分の運命を悟りました。
その数日後には、例のBBSで次の日程の指示が来ました。親よりもミカさんにバレるのが何よりも怖くて、当時の僕には逃げるという選択肢がありませんでした。
3回目の時に、男としての本能か、あるいは女たちを怒らせないように無意識の防衛反応が働いたのか、恥ずかしながら僕は勃ってしまい、「大きくなったってことは、ゆう君もいいってことだよね?」という言葉とともに、待ちきれないといった満面の笑みで、Aが跨ってきました。
「ちっちゃいけど、ちゃんと硬くて気持ちいい!」というAの歓喜の声が、当時の僕には屈辱的に感じられました。
その後、他の二人からも順に犯されたのですが、僕が何よりも屈辱的だったのは、その場にいないミカさんへの罵詈雑言でした。
「どうせ、あいつヤリマンだからガバガバでしょ?私たちの方が気持ちいいでしょう?」とあざ笑ったかと思えば、「あいつ、どうせ大人には相手にされないから、アソコも洗ってなくて臭いんじゃないの?」などとと罵ったり、とにかくミカさんのことを悪く言えればそれでいいようでした。
三十代ながら、箱入り娘のような清楚な美人で、親の財産で生活しているミカさんに対して、3人は嫉妬心を抱いていて、僕を犯そうとするのも、性欲からというよりは、嫉妬心や支配欲を満たすためだと理解しました。
僕が大声を出したり、抵抗したりしないと知ってからは、場所を観光用のホテルの大部屋に移しながら、この狂宴は7~8回ほど続きました。
最後の一回の時には、3人とも「これが最後だからね」と何度も優しく言ってきました。
いつものように無抵抗で犯されながらも、僕は安堵の気持ちでいっぱいでした。
しかし、それで終わりではありませんでした。
それから数週間後のある日、ミカさんの部屋に行くと、ミカさんが虚ろな表情で待っていました。
ミカさんの前のテーブルには一本のビデオテープ。一瞬で僕は全てを理解しました。それがAから送られてきたもので、ミカさんは既にそれを観た後だと。
止めようとする僕を押しのけて、ミカさんがもう一度ビデオデッキに挿入すると、そこには案の定、これまでの狂宴がダイジェストした形で収められていました。
合間合間に、「彼女の臭いオマ○コこと違って美味しそうに舐めてます」とか、「初めての射精。彼女と違って気持ちよかったのか、すぐにイっちゃいました」といった卑猥なテロップが挿入され、最後には「3人ともたっぷり出してもらいました。元気な赤ちゃんが産まれるといいなー」という言葉で締められていました。
しどろもどろになりながらも、事情を説明しようとする僕に、ミカさんは力づくで覆いかぶさってきました。当時の僕より背が高いとはいえ、華奢な体からは想像もつかないような力でした。
無理矢理に僕の口を塞ぐようにキスすると、手を僕のアソコに伸ばしてきましたが、それまでミカさんに乱暴に扱われたことなどない僕は、勃たせることができませんでした。
「あいつらとはしたのに、私とは嫌なの?」、「本当はあいつらとして気持ちよかったんじゃないの?」と問いながら無表情で見下ろすミカさんの姿に、恐怖でさらに身体は萎縮していまいましたが、やがて硬くなってきた僕のアソコを挿入すると、ミカさんはそれまで見たことのないような獣のような動きで、僕の上で腰を振り始めました。
声までも、普段のおしとやかな振る舞いからは想像もつかない、まるで獣のようなうめき声でした。おそらく、その場にはいない3人に対して、「この子は自分のものだ」と主張するためのセックスだったのだと思います…。
3人に仕返しに行くというミカさんをどうにか落ち着かせて、その日は終わりました。
その後も、ミカさんと僕との関係はしばらく続きましたが、日に日にミカさんの言動はおかしくなっていき、見かねた実家の両親に入院させられたようで、ミカさんのアパートは引き払われました。
その後、恋人というのは伏せて、元生徒としてミカさんのお見舞いを試みましたが、面会謝絶ということで断られ続け、結局その数年後に僕は進学で故郷を去り、それから十年ほど、故郷にはほとんど帰っていません。
思いの外、長い内容になってしまいました。ありがとうございます。