私は看護学校を卒業後、とある障害者を世話する施設の職員になった。5年程働き、周りからも信頼される様になり、仕事は順調だった。
しかし、夫婦仲は最悪で家庭内でも会話はなく、夫は私を女として扱ってくれなくなっていた。
その日も私は仕事をしていた。すると、主任に呼ばれ、新しい利用者の担当を任された。これまで、何人もの利用者の担当になっていたので私は快く引き受けた。
午後になり、私が担当する利用者が現れ、挨拶を交わし、細かな施設のルールを教えた。
利用者の第1印象は怖い人というイメージだった。
何事もなく、数週間が過ぎ、最初に抱いた怖い人のイメージは消え、気が利く人になっていた。歳も同い年という事もあり、自然と会話も弾み、担当になって良かったとも思っていた。
あくる日、私は仕事をしていると癇癪持ちの利用者から暴力を振るわれ、抵抗するも顔や身体を殴られ、仕事をして初めて、恐怖と死を感じた。
しかし、その癇癪持ちの利用者を止めてくれたのは同じ職員ではなく、担当になった利用者だった。後から聞いた話だが、その利用者は空手と柔道の有段者だったらしく、職員でも躊躇する程暴れていた、癇癪持ちの利用者を1人で抑え込んだそうだ。
その時、私は意識が遠のき掛けていて、何も覚えてなく、目を覚ました時は病室のベッドだった。
幸い、骨折はなく、打撲で済んだが恐怖心から仕事をするのが怖くなってしまった。
旦那はお見舞いに来る事は1度もなく、代わりに施設の社長や部長や課長が来てくれ、他には担当していた利用者がお見舞いに来てくれていた。
本来、仕事以外で利用者と接触を持つのは禁止とされていたが状況が状況なだけに許可がおり、面会に来てくれていた。
退院するまでの間、毎日、面会に来てくれ、私は利用者の事を好きになっていた。
退院後、癇癪持ちの利用者を退所させた事を知り、不安は取り除かれたがふとした瞬間、恐怖が蘇り、身体が震える事があった。
しかし、担当している利用者が抱きしめてくれるとその震えも止まり、私は私の出来る事で恩返しをしたいと強く思う様になった。
あくる日、担当する利用者から人妻なのは分かっているが好きなんだと言われ、私は自然と私も、と言葉に出てしまい、利用者と肉体関係を持ってしまった。
終わった後、後悔より嬉しさが勝っていたし、女性として扱ってくれた事に感動すらしていた。
その日から私と利用者は2人っきりになると求め合い、プライベートでも会うようになり、ますます、利用者の事を好きになっていった。
そして、付き合い始めて、半年ぐらい経った頃、私は妊娠をした。夫との間に子供はなく、夫に問題があり、子供を諦めていたのでこの妊娠は嬉しかった。
でも、私は結婚してる身だから、堕ろさないといけないとわかってはいたけど、堕ろしたくはなくて、利用者にも告げれず、堕ろせる時期を過ぎてしまった。
いずれ、夫にはバレると思い、先に利用者に妊娠した事と堕ろせる時期は過ぎてる事を伝えた。すると、利用者は俺と結婚してくれるんでしょ?とあたかもその選択しかないような感じで答えてくれた。
正直、私は驚いた。離婚の事なんか考えてもいなかったので、言われて初めて、そっか。離婚すれば良いのかとすら思った。
そして、その日の夜に夫に離婚を切り出すと夫は、やっとか、と言い、書面済みの離婚届を出てきた。これには私も驚いたけど、夫にお前から離婚を切り出したんだから、慰謝料はないからなと言われ、怒りより安心した。
次の日、離婚届を役所に提出し、その事を利用者に言うと嬉しそうに私を抱きしめてくれ、絶対、幸せにするからと言ってくれた。
しかし、問題はまだ、残っていて、未だに私と利用者は施設側の禁止されてる関係だった事もあり、私は仕事を辞め、他の地域に引っ越し、利用者も私と同じ地域に引っ越しをする事にした。
施設側からは止められたが離婚し、一からやり直したいと言い続け、施設側にバレずに辞める事が出来た。
そして、現在、利用者は私の夫になり、私は3児の母になり、今も変わらず夫から愛され、幸せに暮らしている。