忘れられない体験
1:俺が暴走族に入って、俺の母ちゃんが。
投稿者:
信太郎
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28年前に携帯番号を教えた???
1994年の阪神大災害前にはほとんど普及してなかっような…
仕方ないでしょ。創作なんだから。
28年前なら、携帯をダダで配っていた頃じゃねえ?
28年前だと
鳶職(高所作業)は16歳じゃ年齢制限で使ってくれなし
大手の会社なら、作業資格書・健康診断書・緊急連絡先などの書類が必要で
暴走族なんか出入りできない
使っているなら、その会社は人夫出しのピンハネ屋だろうな
建設業界を土方などと思っていいたら大間違い
28年前には、すでに携帯は出回ってました。そして、PHSが出始めた頃でしたよ。中学を卒業して、鳶職の仕事をしていたのも事実です。確かに、雇い主が俺の母ちゃんに、未成年だから、承諾書を取りに来たのも有りました。始めの頃は確かに、高所作業は出来ませんでしたので、足場材を運ぶのが主な作業でした。書いた事は事実です。
PHSのサービス開始は95年。
でも確かに携帯はチラホラ持ってる奴がいるなぁとか、電車や人混みでこれ見よがしに携帯ででかい声で話するバカが出始めたのもこの頃。使ってた奴は得体の知れないバブリーな仕事してそうな奴が大半。ビジネスマンでもポケベルが主流。
もちろん若い子はまだポケベルの時代。広末のポケベルのcmが96年。ちなみにたまごっちが96年にブーム。
まぁクソヤンキーの頭とか言うバカは、この頃に携帯を嬉しそうに持っていると言うのはあり得る話。
ちなみに通話料はバカ高い。
確かに頭はやばいやっだったな。
顔にタトゥー入れてたし。それから俺の母ちゃん言うんだよな「顔に墨入れてるやつとは関わるな」って。
頭は母ちゃんの妊娠と同じ頃に、暴走族を引退して、ヤミ金の取立ての仕事についた。そして母ちゃんが出産して間もなく、暴行事件をおこして、逮捕された。逮捕されて、頭は帰れない状態の中、事件をおこして2ヶ月位経った頃、自宅に、いかにもといった感じの柄の悪そうな男が家を訪ねてきた。そして玄関先で少し話していましたが、俺に「今後の生活費等の事で、少し込み入った話をしたいから、外出していてくれないか?」と言われた。俺は仕方無く外にでて、ぶらぶらして時間を潰した。そして小一時間が経った頃に、自宅に戻った。自宅に戻ると弟の泣き声が響いていた。そして母ちゃんが台所で、ミルクを作っていた。母ちゃんはパンツ岳の姿だった。ミルクを作っていた母ちゃんは俺を見ると「ごめん。恥ずかしい姿見られたね。もう少しだけ、外で時間潰して来て。理由は後で話すから。」そして再び家を出た。そして更に、小一時間が経った頃、家に帰りました、母ちゃんの身だしなみも普段着に整い、男の帰っていた。そして母ちゃんから聞いた話は、あの男は、ヤミ金の人で、頭から、生活に困るだろうから、暫く生活の面倒をみてやって欲しいと言われたそうだ。そして、頭と、離婚条件で、手切れ金を渡されたらしい。そして暫く、生活費の面倒をみるとの条件で、あの男の愛人に、つまり、母ちゃんがパンツだけの時、あの男とやってた途中だった様だ。そして母ちゃんから、離婚届の用紙を見せられた。離婚届の用紙には、頭の名前と、はんこが押してあった。俺は母ちゃんに、離婚するの?あの男と一緒になるの?と聞いてみたら、離婚の事は暫く考えてから決める。あの男の人とは、いわゆる愛人関係で、生活を支えて貰う。と母ちゃんは話してくれた。
それからは、母ちゃんは派手になっていった。服もだが、下着は時に派手になって行った。これパンツかよ?と思うものもあった。化粧も派手目で、元々美人だった母ちゃんだったが、派手な化粧をすると、10歳位若く見える。頭が逮捕されて4~5ヶ月こ頃だったと思う、離婚届を出したのもこの頃だった。そして俺が、仕事が早く終ったある日、自宅に帰って玄関を開けると、見知らぬ男が(50後半)位の男が、母ちゃんの上で腰を振っていた。俺は部屋にかけあがり、思わずその男を「母ちゃんに何やってんだよ。」と一言言って蹴った。男は横に転んだ。慌ててる母ちゃんが「あんた、社長さんに、何て事するの?謝りなさい。」と怒鳴ってきた。社長は「まぁまぁ、良いから。元気が有って、良いじゃないか。」社長は俺を許してくれた。そしてその時、社長のチンコが見えたのだが、信じられない程でかく、ゴツゴツしていた。後で聞いたのだが、玉5個程入れているらしく、凄いチンコだった。後で母ちゃんから聞いたのだが、毎月、生活費を貰っている社長だで、前に来た男は、社長の部下だった。
母ちゃんが先輩に回されたまではわかったが、その流れで実の息子がサラッとやってるくだりが謎。
同じ創作でもその辺膨らました方が面白かったと思う。
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