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<ご挨拶>
この話は私(現在44歳)が10年前に、とある暴力団の準構成員として活動していた頃の話しです。当時のこの件を目の当たりにした時の口惜しさと、それに至るまでの経緯を、個人や団体が特定されないように配慮はしますが、反社会勢力の姿を少しでも皆さんにお伝えできればと思い筆を取った次第です。筆者自体、プロの物書きではありませんので、無駄に文章が長くなり、また官能的描写はクライマックスの妻が寝取られるシーンまでお預けになるかもしれませんが、物好きな方は読んで頂ければ幸いです。
<本編>
僕は中学生~大学時代、不良とは程遠い生活をしていました。学校を遅刻したり、休んだりする事もなく、真面目な生徒と付き合い、クラブ活動に専念し、人並みに勉強をして受験勉強をし、それなりに恥ずかしくはない大学へと進学することができました。
ただ、そんな真面目を絵にかいた僕の人生の中で、
「あの時に、あいつと出会い、あれをやってなければ。」
という、たった一つの人生を大きく道を踏み外すきっかけを作ってしまった事があります。
それは、中学3念の頃、犬の散歩で近所の川辺を歩いていた時のことです。夕方5時くらいの夕暮れ時でした。歩いていた川辺には、以前は川辺の河川敷の整備工事かなにかの事務所だったのでしょうか、すでに使っておらずガラスが敗れたプレハブ小屋が建っていたのです。
僕はその前を犬と通り過ぎようとした時に、プレハブ小屋2階から「おーい、小西~」と名前を呼ばれたのは、同じ中学に通う「徳山」という大柄な同級生でした。
徳山という男は、両親は元暴力団で、家も決して経済的とはいえない環境に住んでおり、いわゆる「不良」という男でした。しかし、この徳山は僕と家が近いという事もあって、また徳山が沢山のゲームを持っており、僕自身も、小学校4年くらいまでは、徳山の事を「親友」だと認識し、一緒に遊んでいた幼馴染ともいえる男だったのです。
徳山はいつも他校との喧嘩、そして高校になれば暴走族、そして覚醒剤と道を踏み外していく人生を歩んでいく男なのですが、当時の徳山はまだ、中学生としての少年ぽさも持っており、また同じ中学生だった僕も、徳山の事を悪い男とは思えず、
この時に、徳山と出会い、、、ちょっとした出来心で、、シンナーを吸ってしまったのです。
このプレハブ小屋の2階に隠れての最初で最後のシンナー遊び自体は、別に親にバレるとか、警察に捕まるとか、そういった事件に発展していく事はありませんでしたが、僕はただ漠然的に
(こんな気持ちいものがあったのか。。。。)と思っていました。またやってみたいとも思いましたが、これを続けていくと人生が崩壊してしまうんだ。という考えもあり、また徳山自体「シンナーは今簡単に手に入らないんだよ」と言っていたので、シンナー遊び自体は、これが僕の中での最初で最後となったのです。
ただ徳山は、一人でシンナーを吸っていて面白くなかった時に、たまたま通り過ぎた顔見知りの小西が通ったので、安易な気持でやってみないか?と勧めただけ。そんな感じだったと思います。
ただ、この件がこの後の人生を崩壊させる、ただの伏線である事は当時の僕は何も知らなかったのです。
それから10余年が経ち、僕は20代中盤に差し掛かった頃の話しです。僕は大学を卒業して、平凡ながらも充実したサラリーマン生活をしていました。その頃、知人の紹介で知り合った、舞香という出身校こそは別の、同い年の女の子と知り合い意気投合。そして交際へ発展。それから交際1年を経て結婚する事になったのです。
舞香は僕のような平凡を絵にかいたような男にはもったいなく、女性にしては背も高く、スタイルも細くてしっかりしており、
本人曰く「女の子だからね、キレイはいつも意識してるんだ^^」と笑顔で僕に言っていた事を今でも思い出されます。また舞香はとある百貨店の美容部員でもあり、いつも「お客さんの笑顔がみたい」といって、新作の化粧品の研究や、メイクの研究などにも専念しており、女性として、純粋に美を追求するだけでなく、僕のような男にも尽くしてくれるという、まさに完璧な伴侶だったのです。
結婚1年目、この頃はなにもかもが順調でした。
僕が起きてくる時間になると、一緒に住んでいたアパートでは舞香が朝食と、昼のお弁当を作ってくれており、そして二人で手を繋いで出勤。駅のホームの売店のオバチャンからは、「あんたたち、いつも幸せそうねー、ほんとにお人形さんみたいな彼女つれはってー」と言われ、僕も鼻高々でした。※彼女ではなく、正しくは妻
そして仕事中も舞香と、「つかれたー」 とか、「今日は何時にかえる?」等と連絡を取り合い、そしてたまには外食っていう事で繁華街で待ち合わせし、ホテルの最上階のレストランで食事をしたりする事もありました。
ですが、そんな幸せな生活は長くは続きませんでした。
続く。