現在三十をちょっと過ぎた専業主婦みさきと言います。
カテゴリー違いでしたら申し訳ありません。
何故なら暴力的な行為をされたわけでもなく、ストーカーされたわけでもないし、嫌なことされた忘れてしまいたい過去という意識もない、ただこうゆうことをされたことがありますってだけなのを最初に言っておきます。
小学校四年のとき、母は離婚しました。
それに伴い始まった生活が、母の友人で先輩離婚者Aさんとの共同生活でした。
Aさんには中年一年の息子さんもいて、いさお君と言いました。
離婚したばかりの母の生活が安定するまでの期間って約束だったようです。
今で言うシェアハウスみたいな生活でした。
以前から母の友人と言うこともあって、Aさんもいさお君も知っていたので、普通に生活してました。
特にいさお君は、一緒の生活になる前から、優しいお兄さん的存在でした。
まだまだ幼い私でしたが、好意を持っていたかもしれません。
共同生活が始まり二ヶ月程たち、お互い慣れてきたあたりです。
寝てた私は陰部を触られている感覚に飛び起きました。
そこにいたのはいさお君でした。
いさお君は私の口を素早く抑え、自分の唇に人差し指を立て、シッ!のポーズを取りました。
『みっちゃん(私)、住むとこ今なくなるとお母さんもみっちゃんも困るだろ?ここはみっちゃん黙って大人しくしててくれないかな?』
子供心にも今は追い出されたら困るのもわかったのと、いつも優しいいさお君のことだから、黙って大人しくしてればとりあえずいいのかな?みたいな気持ちとかがあり、私は口を抑えられたまま、うんうんと頷きました。
なにされるかもわからないままで。
ほっとした様子で笑顔を見せたいさお君は、まず私にパジャマを脱ぐように指示、いえお願いされました。
シャツとパンツ姿で立たされると、みんな脱ぐようにお願いされました。
当然恥ずかしい気持ちがあり、ちょっと抵抗がありました。
でも脱いじゃいました。
シャツもパンツも。
素っ裸で気をつけーみたいな格好です。
食い入るようにいさお君に見られてるうちに、次第に恥ずかしさが薄れていきました。
布団に仰向けに寝るよう指示され、私はその通りにし、さらに足を少し開きました。
黙って上を向いて仰向けに寝てると、いさお君は私の陰部を覗きこんでました。
『ごめんみっちゃん、もうちょっと足開いてくれないかな?』
言われた通りにもうちょっと足を開く私。
いさお君を再び見ると、右手でオチンチンを握り、その右手が前後に動いてるのが見えました。
小学四年の私、いさお君が何をしてるかわかりませんでした。
いさお君はオチンチンにティッシュをあてがい、身体を数回ビクつかせていたいさお君、あてがったティッシュを見たいさお君は、それを丸めるとパンツをはいてました。
『みっちゃんごめんね?もういいよ、着ても。絶対秘密、約束してくれるよね?』
『うん、言わないよ?大丈夫』
私はパンツにシャツ、パジャマを着ながら言うと、いさお君は優しい笑顔を見せて出ていきました。
翌日だったか、母もAさんもまだ帰宅する前に、いさお君が何をしていたかを聞いたんです。
いさお君は丁寧にオナニーと言うもののを教えてくれました。
私はその手伝いをしてたのを知りました。
最初は見てるだけ、見せてるだけでした。
でもいつからか、触られるようになり、いぢられるようになり、いさお君の射精の瞬間を見せられたり、要求が増してきました。
でも先に書いた通り、いやだとかそうゆう気持ちは全くおきませんでした。
暴力的なこともないし、優しくお願いされる姿勢に私は協力的と言って良かったと思います。
触られいぢられくすぐったいを我慢するだけ。
私が五年になってすぐのあたりかな?私は初めていさお君のオチンチンを握らされ、そのまま射精へとも導きました。
いけないことをしてるって気持ちも、全くありませんでした。
性やセックスと言うものに対する知識も入れてくれたいさお君、もしかしたら私にセックスを要求してくる日も近いのかも?と思うようになってました。
でもそうなる前に、Aさんいさお君、母と私の四人の生活は終わりへと方向変換していきました。
いくら友人とはいえ、共同生活していくうちに、Aさんと母の仲はギクシャクしていっていたのです。
母は引っ越しを決意、五年生の夏休み中に引っ越ししました。
生活面でのお金の折半の仕方とか、Aさんに交際男性でも出来たのか、家に関することを母がほとんどするようになっていたこと、その他色々あったみたいです。
引っ越し先は私の学校もあり、そんなに遠くないとこでしたが、Aさんと母は絶交状態になったせいか、私といさお君の往き来もなくなりました。
あのまま生活が続いていたら、どうなっていたのかな?と思います。
小学五年生で初体験、初潮前に開通式済みになっていたかな?