昭和十四五年の頃の出来事だったそうです
父44歳母18歳二人は駆け落ちして東京へ出てきました 父は安月給の印刷工母は花柳界の仲居として通いで勤め そんな中に私は生まれました
当然に生活苦 私は母方の祖母に引き取られ育てられました
母には姉と妹が弟が二人居ました
上の叔父さんは百姓を継ぎ下の叔父は小学校の先生でした
二人の叔父との関係は後で書きますが 当時上の姉は三十代の海軍士官と結婚していて 内地勤務の叔父は別棟に叔母と生活していました
泣き虫の私は毎晩のように叔母の懐に抱かれて寝ていました
何時頃からでしょうか 寝ている私の隣で夫婦の営みが・・・・・
時には私を抱きながら後ろに叔父が覆いかぶさるように・・・その律動が伝わってくるのです くぐもった喘ぎ声も 子供ながらに私は身を縮めて叔母と一緒に耐えていたように思います
昭和十九年の頃だったと思います
私が七歳小学校へあがる歳でした
<チー坊>叔父は私をそう呼んでいました
或る日叔母は近所の寄り合いで遅く帰ったことがあります
一人叔母の匂いのする布団に寝ていました
夢だったようにも思います 夜中に後ろから抱き抱えられたのです てっきり叔母と思いそのまま寝付いていました
飲んでいるのかな 叔母は焼酎の匂いがしました
ンン ククー
後ろから添え寝をしていた腕が 私の脇の下から伸びて胸を撫でられたのです 子供心にも暖かい甘い快感に酔っていました
いつの間にか掌は胸から脇腹に そして一重の寝巻きの裾を広げ内股に這ってきました それが又えもいわれぬ気持ち好いのです
今思うと叔父は私から溢れ出た露を漉くっては 楽しんでいたのかと思います
身動きしない私を見て叔父は大胆にも寝巻きの下を剥ぐって 幼い私に掌を伸ばしてきたのです それでも私は叔母の掌と勘違いして 寝た振りをしていました でも叔母の掌じゃ無いと感じたのです だって叔母でしたら幼いとは言え 亀裂にまで指を這わすことは無いと子供心に思いました
<チー坊>
焼酎は叔父の匂いだったのです
い い痛い
目を開けて抵抗したときは遅すぎたのです 私は七歳で初めて男の人を知らされたのです
その夜泣きじゃくる私の側で叔父と叔母が言い争っていたのを覚えています
間もなく叔父は東南アジアの方へ出かけて行きました
当時は食料増産で小学校の先生をしていた下の叔父まで 教師の仕事を終えてから 腰の曲がった祖母と叔母と 11歳になった私と四人で畑仕事に勢を出して働いていました
下の叔父は身体が弱く 結婚もしないで戦争に行きませんでした
その頃には叔母と一緒に寝ることは無くなったのですが 布団は相変わらず一枚で叔母の布団寝ていました
時折叔母は私に隠れて下の叔父の部屋で寝ていたように思います
朝顔を合わせても罰の悪い顔をして正面からはけっして見ないようにしていました
<チー坊>は絶対に叔父ちゃんの部屋へは行くんじゃないよ遷るから と云われていましたが 叔父の部屋には私の好きなお人形とか絵本があったので叔母の目を盗んでは遊びにいっていました
<チー坊> 膨らんできたなお乳
いやあねえ すけべ
逃げない私を抱き抱えるようにふざけて 叔父の唇が頬や膨らみ掛けた胸乳まで
<チー坊>これ分かるか
いやあ~
叔父は固く起ったペニスを無理やり握らせて 私の裾に掌を這わせいました
<チー坊> お前
い 嫌
そうか 兄貴に訓えられたな おいで僕が優しく抱いて上げるから
人よりも益せていた私は 馴れた顔をで叔父の懐に抱き抱えられていました
その夜から毎晩のように 叔母と代わる代わる抱かれたのです 時には二人並んで戯れていました
戦争は益々暗くなってきました
現在の娘がもう57歳になっている 私の歳は聞かないで下さい
でも私も未だ現役ですよ ふふふ
長らくお付き合い有難う