お父さんが「会社員を辞めて農業を始めたい」と私が小学3年生の時に言われました。
お母さんは、アトピーや喘息気味の弟の事も考えて田舎暮らしには賛成で、私も弟の龍二も悩んだけど最終的には賛成しました。
東京から新潟の山沿いの農村に引っ越しました。
家の周りには春先に引っ越しした為に雪が残った田畑が広がり、お隣さんは意外に遠かった。
私達が通う小学校は全校児童は70人にも満たない小さな学校でした。
登校初日はドキドキでしたが、私の学年はひとクラスだけ10人しか居なくて女子は私を入れて3人しか居ませんでしたが、クラスの雰囲気は男女とも仲良しな様でした。
1ヶ月もしない内にクラスの人達とも打ち解けていました。
最初の頃は、東京からの転校生と言う事で「どんな遊びが流行ってた」とか「休みとかにはディズニーランドとか行くの」と興味津々だったらしいけで、1ヶ月も過ぎればそんな会話はなくなり「田植えの支度を手伝わされたり」とか家が農家の友達の話を聞くのが楽しかった。
私達が住む家も元は農家さんだったらしくて、高齢化に伴い市内に住む息子さん夫婦と同居する為に、住み慣れたこの地を離れたそうです。
農作業小屋には農機具が沢山入ってて、この農機具も使って下さいと家賃の中に入ってるらしかった。
お父さん達も農業の大先輩達との交流で情報を仕入れたり、農機具の指導を受けて、私達の田んぼも田植えの準備が終わり、田植えの日はゴールデンウィークの最終日と決まりました。
田植えの日にはお父さんの農業の師匠の大野さんのお爺さんや既に田植えを終えた先輩達もお手伝いに駆け付けてくれました。
最初は下手っぴだった田植機の運転だたったお父さんも最後の4枚目を植え終わる頃には真っ直ぐに植えられて先輩達に褒められて居ました。
田植えが終わって、おしまいでわ無くて植え直しや手直しみたいなのもあって、家族全員で大野のお爺さんに教えて貰いながら楽しく泥だらけになりながら終わりました。
大野のお爺さんの家も息子さは県内に住んでて、田植えの時期になると家族で手伝いに来るけど、普段はお爺さんとお婆さんの二人暮しでした。
よくおすそ分けを頂きに大野さんの家を行き来してて弟も大野さんに懐いているみたいでした。
そんな中で、私達が夏休みの時に。大野のお婆さんが農作業中に体調を崩して1週間の入院になりました。
軽い熱中症らしくて大事をとっての入院らしくてホッとしました。