ぼくは45歳の独身男です。今から書く話はすべて実話でぼくの体験談です。あれは昭和62年の12月、ぼくが小4の冬に起こりました。
土日は母方の祖母の家に預けられていましたが、小学校は違うが近所のNくんと仲良くなりいっしょにファミコンなどをして遊ぶようになり
ました。その日、Nくんの家には意地悪で有名な女児姉妹K子とK子の姉がいました。
午後の5時をすぎたころ、K子は姉に耳打ちし、「おい、○○(ぼくのこと)服を脱いで裸になって」と命令してきました。
K子に逆らったら何をされるかわかりません。おじけづいたぼくはシャツを脱いで上半身はだかになりました。
K子はズボンも脱いで、と言い、ぼくはブリーフ1枚の恰好になったのです。K子の命令はさらに続きます。
「パンツも脱いで」と言われいやいや脱ぐと、ぼくのブリーフを汚そうに手に取ってみんなに見せびらかしたのです。
そして、全裸になったぼくを見ては、おちんちんをしげしげと眺め、「おしっこの出るところを見せて」と要求しました。
包茎ちんちんの皮を自分で剥いて、ぼくの亀頭が露出しました。
もう泣きそうで、「寒い、風邪ひきそう」と言っても服を着ることを許してくれません。
ついに、ぼくの感情が破裂して大声で泣き叫びました。大泣きでした。それでやっと服を着せてくれました。すぐに家路についたぼくですが
父母にも本当のことは言えず、けんかに負けたと弁明しました。
ここからが妙なんです。小1でオナニーを覚えたぼくですが、
中学校になって(ぼくの小学校とK子の小学校は中学でいっしょになる)、1組から6組まであるのになぜかK子とおなじ
1年2組になりました。顔を合わせてもK子はニヤリとするだけで、同級生にも小4の性的いじめはナイショにしてくれたようです。
高校生になると、K子にもっとエッチな事されたかったというマゾ的な欲求が出てきました。
中学校でもう一度「ぼくのおちんちん見せてあげようか」となぜ誘わなかったのか、とか
K子にアタックすればよかったと思うようになって、まったくトラウマにはなりませんでした。
おかげでペドフィリア(小児性愛)になり、大学生のころは小学生や幼稚園児に欲情しました。
幼稚園のアルバイトでは、5歳児の女児にキスしたり胸を触ったりしました。
平成16年には、小学校教師になり担任した4年生の女児二人にセクハラ(抱っこ)して
懲戒免職になりました。
でも、まったくといっていいほど後悔はなく、小児性愛に目覚めたことに感謝しています。
すべては小4のあの冬の日の性的いじめが発端です。
そう、ぼくは変態おじさんなんです。
以上、駄文でしたが読んでくれてありがとうございました。