母は特定の男性と付き合ってる時は優しい人でしたが、
別れると情緒が不安定になり私に暴力を振るってきました。
4年生くらいになると胸が膨らみはじめます。
割と身長もあったので5年生の頃には胸が痛いと感じ、母にブラジャーが欲しいと言いました。
ですが母に「そんなものいらねえよ」と言われ、胸が痛いことを伝えると、
そこから数十分殴る蹴るの暴力を受けました。
もう何年も暴行されてきたので正直慣れてたところもあり、私は母が落ち着いた頃にもう一度ブラジャーの話をしました。
それが母の逆鱗に触れたようで「しつこい」と言われ殴られ、
「痛いんだったら服なんか着るな」と全裸にされました。
その日から家で服を着ることはなかったです。
せめてパンツを穿きたいと言いましたが却下されました。
母の機嫌が悪いと鉄の菜箸を火で炙り私の胸に押し付けてきました。
「脂肪だから燃えるだろ」と笑って。
私が泣くと母は喜び何度も何度も胸に熱い菜箸を押し付けられました。
毎日のように胸を焼かれ、叩かれ、また焼かれ。
そんなことを繰り返すうちに私は胸への痛みに慣れました。
それが気に入らない母は今度は私の性器に火で炙った菜箸を押し付けるようになります。
慣れた胸への痛みとは比べものにならず私は失禁しました。
母は「きったねぇな」と蔑み満足そうに笑っていました。
それから私が失禁するまで性器に熱い菜箸を押し付けられる日々が始まります。
失禁しないと母は許してくれません。
おしっこが出ないと水を吐くほど飲まされ失禁するまでやられました。
痛みに慣れると熱い菜箸で性器を焼き胸の時と同じく、
パンフレットを丸めた棒状の筒で性器を何度も何度も叩かれました。
失禁した自分の尿を舐めさせられたこともあります。
母は私を虐待してる時は本当に楽しそうでした。
1年半経つ頃には私は母の虐待を楽しみしてたんです。
母が喜んでくれるから、それが私の娘としての喜びでした。
母はそんな私を「気持ち悪い」といって殴ってきました。
いつしか母家に帰って来る機会が少なくなりそのまま行方がわからなくなりました。
母の知り合いはおそらく男と逃げたんだろうと。
それが私が12歳の時です。
母を恨んでるかと言えば今は恨んでません。
捨てられた後の数年間はなんで?どうして?と思いました。
虐待は私と母の唯一のつながりであり思い出です。
母からの虐待を思い出すと性的興奮になってしまいます。
あの頃からそうでした。
私は自分が気持ちよくなりたいから母の虐待を待っていたんです。
母を利用して気持ち良くなってたクズ人間なんです。
あれから10年経ちました。
そのクズ人間は今、複数のご主人様に虐待していただき幸せに暮らしています。
私のような人間が幸せに暮らしていていいのか疑問です。