以前書いた「S4年生から始まった義父の性教育」体験談の詳細版その2です。
(背景などはコメント欄の記事を読んでみてください)
小4の夏休みに、継父と一緒にお風呂に入るようになり、膨らみはじめたおっぱいやアソコをいじられるようになってから、秋ごろには同じ布団で寝るようになり…
そして冬休みが始まった頃。
父はそれまではクリスマスなど知らんぷりで、生前母も仕事でおらず、特になにかする習慣はありませんでした。
(母は私を21で産んでからも、ずっと風俗で働いていたようで、クリスマスなどは稼ぎ時だったようです…)
そんな父が、クリスマスケーキを買ってきたり、プレゼントで服やオモチャを買ってくれたりと、いつもとは違う姿を見せてくれました。
ただ、そんなクリスマスの日の夜に、
「パパにもクリスマスプレゼントくれる?」と言われ、初めての手コキを要求されました。
始めは一緒のお風呂に入り、体を洗っているとき。
背中を洗っていると、後ろの私の両手を掴んで、父は自分の股間に持ってきました。
父のペニスを普通に洗うというのはやっていましたが、その日は違って、手で握るよう言われました。
「そうそう。で、上下にゆっくり動かしてみて」
「もっと背中におっぱいつけてみて」
「いいよ。上手上手」
などと言われながら、指示通り手を動かしました。
どんどん固く大きくなっていく継父のペニス。
ある程度大きくなったところで
「今度はるみちゃんの番だよ」
と、場所を入れ替え、私は勃起したペニスを背中に押し当てられながら、体を隅から隅まで洗われました。
寝るときになり、一緒の布団にはいると、継父がいつものように後ろから抱き着いてきました。
すでに固くなっているペニスが、わたしのふとももあたりに押し当てられ…
「ちょっと気持ちいいことしようか」
と耳元でささやく継父。
私は「もう寝ようよ」と抵抗しましたが、
「たくさんプレゼント買ってあげたでしょ?もうちょっとお返しして欲しいな」
と言われ、流されるまま継父のほうに寝返りをうつと、継父が強引にキスをしてきました。
私は口をしっかり閉じていましたが、継父の下が小4の私の唇を舐めまわし、首や耳も舐められました。
継父の興奮する鼻の息が、唾液のべっとりついた場所にかかってひんやりします。
すると、継父は起き上がってパジャマとパンツをおろし、勃起したペニスを出し、寝ている私の顔の前に持ってきました。
なにをしているのかわからない私は固まっていましたが、継父はペニスを唾液まみれになった私の唇に押しあてて
「るみちゃん、口開けて。口」と言ってきました。
ペニス独特のニオイがツンと鼻をさし、息を止めましたが、苦しくなってきて、息を吸おうとした瞬間、
強引にペニスを口の中にねじ込まれました。
小4の口には大きすぎるペニスが口の中にあふれ、亀頭はすぐ喉奥に達してしまい、私は
ゴホゴホ!っとせき込みます。
それでも、頭をひざを立てた脚と両手で押さえつけられ、逃げることができません。
苦しくて手で抵抗するものの、30代男性の力に、10歳女子では到底かなわずされるがまま。
そのまま継父は思いのまま腰をふり、私の口を性器のように使い…
10分ほど続いた頃(もっと短かったかもしれません)
「うっ…」と、押し殺すような声を出して射精。
ゴポッ ゴポッ
と、喉奥から口の中に大量の精液が流し込まれ、溺れそうになりました。
必死に鼻で息を吸おうとすると、初めて味わう精液独特の生臭さが意識全体を遅い、猛烈な吐き気をもよおしました。
色んな苦しさに体をバタバタさせていると、ようやくペニスがひきぬかれました。
涙目でにじんだ景色は、興奮でピクピクとうごく継父のペニスのアップ。
そして、私を幸せそうな笑顔で見下ろす継父の顔。
苦しくて臭くていやだったのに、そのとき私は、父を喜ばせられたことにホッとしていました。
その後も、冬休みは毎日のようにフェラチオ(イラマチオ)を要求されました。
やっぱり臭いし顎が疲れるのでイヤだったのですが、
「これはママが毎日やってくれていたから、るみなが代わりにやってくれないと困る」
と言われると、母にお願いされているような気がして、なし崩し的に続けてしまいました。
次第に精液を飲むよう言われましたが、さすがにそれは気持ち悪くてムリで、断りました。
それでも、何度か頼まれるうちに初めて飲むと、喉奥に絡みついて、やっぱりものすごく気持ち悪くて。
でも、継父は満足そうで、翌日は「るみちゃんが頑張ったご褒美だよ」お小遣いもくれました。
毎日飲まされるわけではく、ときにはまだ毛の生えていない、つるつるのアソコに射精して、割れ目に塗りこむようにして遊んだり。
どれも初めはイヤでも、父が喜ぶなら、母がやっていたなら、褒めてもらえて、お小遣いをもらえるなら…
と理由をつけて受け入れるようになりました。
でも、本音はたった一人自分を支えてくれる、そばにいてくれる継父に怒られたり、嫌われたり、見捨てられるのが怖かったんだと思います。
そんな日々が続き、小学5年生になる春休みに初潮を迎えました。
パンツに赤い染みが見つかり、母親のいない私は、こっそり保険室の先生に相談。
授業でも生理については勉強済みでしたが、先生は母親のいない私を気遣って、いろんなことを教えてくれました。
カンのいいというか、経験からなのか、継父にはあまり生理が始まったことは言わないように言われました。
それでも、小4の夏休みから洗濯物を担当していたのは父だったので、すぐに生理が始まったことはバレてしまいました。
ある日、
「るみな、生理始まったんだな」と言われ、恥ずかしかったのですが、
「そうだよ」と答えると、
「ふうん」と、そっけないような、残念そうな声で言う継父。
それ以降、手コキやフェラチオをしても、笑顔をあまり見せなくなった継父。
そんな日が続き、小5の夏休みが始まったある日、私は突然面識もない、存在も知らなかった、継父の叔父たちが住む家へ連れていかれ、叔父たちに処女を奪われることになりました。