私は、継父に悪戯され続けて小学六年生になる頃には、性的快感も知りました。
私が小学三年生の時に、母がお見合いで結婚して四人で暮らしはじめました。
初婚だった継父は働き者で私達にも優しかった。
近所の人から見ると本当の父娘の様に見えていたと思いますが、ひとつだけ違っていたのは継父と私と弟の三人でお風呂に入っている時に起こりました。
断片的な記憶ですが、継父に身体を洗ってもらう時に、弟のオチンチンを丹念に洗ってる記憶があり、その時に弟は少し痛そうにしかめっ面になってて、それが終わるとスポンジで全身を洗ってもらい洗終わると、今度は私の番でした。
弟のオチンチンを洗った時の様に、継父に手にはボディーープの泡で一杯になり、その手のひらの泡を私のマンマンちゃんに手を伸ばして優しく洗始めます。
洗っている間は何か会話をしていたと思いますが、継父の指先は、洗う、と言うよりは性的な刺激を与えている様なものでした。
当時はその様には感じては居なかったけど、年を重ねるうちに継父に洗われている間に不思議な気持ちになり、でもその事を継父に知られたくなくて我慢すればするほど、その気持ちが増していました。
五年生になる頃には膣の中に指を入れられてて、継父の指の異物感に戸惑いながらも、指を出し入れされると気持ち良い様な感じになっていきました。
弟を先にお風呂から上がらさせて、二人だけになると継父に身体を触られたり、硬くなった継父のオチンチンを握らされたり、綺麗に洗ったオチンチンを口の中に入れられたりもしていました。
初め抵抗は有りましたが、回数を重ねると言われると抵抗は無くなり言われる通りに舌で舐めたりしてました。
継父は自分のオチンチンを触らせるのが好きだったみたいですが、それより私のマンマンちゃんを舐めたり触ったりする方が好きだったみたいで、お風呂場以外でも私は下半身だけ裸にされて、継父にマンマンちゃん触られ舐められて居ました。
六年生になる頃には、継父に触られたり舐められるとヌルヌル液体が自分の膣の中からシミ出して、継父を喜ばしていました。
自分で触っても濡れる様にはなっていましたが、継父に触られる方が気持ち良くてヌルヌルの量も多かったと思います。
継父の指もすんなりと入るようになり、ラップに包んだ魚肉ソーセージなども膣の中に入れられました。
ピリッとした痛みを感じる事もありましたが、自分の中に入っている物を鏡に写して見せられる事もありました。
中に入れられる物が徐々に太さか増していき、ヘアブラシの柄の所も入れられて、出し入れしているのを鏡に写して見せられたり、ビデオカメラで撮られたりもしました。
継父は次第にビデオカメラで二人の様子を撮影する回数を増やしていきました。
撮影している間は、私はのり子、と呼ばれてて継父はオジサンと呼ぶように言われました。
そして、六年生の夏休みに継父の車で出掛けて一時間以上離れたラブホに連れていかれました。
室内には小さな滑り台やジャングルジム等があり、裸になりその遊具で遊ぶ私を継父は楽しそうにビデオカメラで撮影したり、滑り台を滑る時には「股をもっと開いて」とかジャングルジムに登ると「こっちを向いてしゃがんでマンコを見せてね」とか言われて、私も言われる通りにすると、触られてもいないのに私のマンマンちゃんはなぜかヌルヌルの液体がシミ出していました。
濡れてるマンマンちゃんにビデオカメラを近付けて撮影されたりもしていました。