もう還暦近くになりますが、今でも小学生の時に受けた羞恥心と痛みを思い出します。
11歳の時から3年ほど、母が契約して地方のモデル派遣会社に所属していました。
当時は今のような子供の羞恥心とかは全然配慮されず、下着広告のモデルとなった時などは着替えの場所も無く、広告会社の男性社員から下着写真を写されていました。
スリップ、ジュニアブラ、ショーツと着替える度に胸も割れ目もカメラを持った男性に晒されました。
原則は保護者である母が付き添ってくれることになっていたのですが、母子家庭で母も別の仕事をしていた為に、私は殆ど一人で撮影されていました。
ある日、ショーツを穿き代えている時に、シャッター音がして、そちらを見ると広告会社の男性社員が、全裸の私にカメラを向けていました。
「やめてください」とは言ったけど、「早くしろ」「さっさと着替えろ」と高圧的な命令をされたうえ、恥ずかしさで泣きそうな顔をしていた私に「その顔はなんだ!笑え!」と罵声を浴びせられました。
恥ずかしさ、悲しさでとても笑顔など作れず啜り泣く私にその社員は、「役立たずめ、もうクビだ、母親にそう言っておけ」と重ねて罵声を浴びせましたが、私は自分の家庭の収入が減ることがどれだけ母に苦労を掛けるか分かっていたため、「ごめんなさい、ごめんなさい、もう泣きません」と必死に謝りました。
最後にはショーツにスリップ姿で床に座って土下座までしました。
すると社員は「それなら素っ裸になってみろ」と言いました。
「恥ずかしい」「泣きたい」と思いながらも、子供ながら必死にひきつった作り笑顔をして、スリップ、ショーツを脱ぎ全裸で社員の前に立ちました。
そんな私を社員はおもちゃを扱うかのように、膨らみ始めた乳首を摘まみ、まだ全く無毛の割れ目をごつごつした指で撫で上げ、私が痛さに顔をしかめると、「やっぱりクビだな」と言うのです。
その日は最後には膣に指を1本強引に捩じ込まれることまでされました。
そう多くはありませんが、出血もありました。
初潮前でしたが、ショーツに出血が着くと母が心配すると思って、トイレの紙を重ねてショーツのクロッチに当てて帰りました。
それからはこの社員は、仕事で二人きりになる度に私の身体をおもちゃにして、口にぺニスをくわえさせられ、精液も全部呑み込むことまでさせられましたし、中学に上がった春には私の処女も奪い取ってしまいました。
写真も全裸で四つん這い、大きく足を広げて自分の指で割れ目を拡げる、膣や肛門にペンや花の茎を差し込むなど、写される度に心が壊れていくようなものを撮られました。
さらにその写真を自分で現像印画し、いやがる私に無理矢理見せて、私がついに恥ずかしさ惨めさで泣き出すのを喜んでいました。
3年目にその社員との別れることが出来たけど、母を巻き込んで悲惨でした。
私が全裸で後ろ手に縛られ、片足も高くあげた姿勢で足首を縛られている所を撮影された時に、母が急に一人で入ってきたんです。
悲惨な姿の私を見て、すぐに助けようとしてくれた母を、社員がいきなり後ろから首に腕を巻くように締め、床に引き倒したあげくぐったりした母の衣服を剥ぎ取り、裸体を撮影したあげく犯してしまいました。
それから1ヶ月ほど、母と私の二人で社員に呼び出されて変態的に犯されることが続きましたが、二人の裸体の写真が広告会社の社内で明るみに出て、それが機会となって母と私はその社員から解放されました。
幾分かの慰謝料で示談にされてしまったようですが、母と私はそれを機に県外に転居し再びその社員に会うことはありませんでした。