私は小学生だった頃に従兄妹と一緒に住んでいました。
様々な断片的な記憶を整理してみたら、従兄妹のお母さんは何度も複数の人にレイプをされていて、幼かった従兄妹は何度となくその光景を見ていたのだと思います。
伯母さんは精神を病んでしまい入院してしまったことで従兄妹が家で一緒に生活するようになっていたようでした。
おじさんと伯母さんは離婚してましたが、従兄妹に会いによく家に来てました。
私の父は、単身赴任ばかりで私が高校の卒業間近になってやっとちゃんと家に帰ってきました。
母親とおじさんが、男女の仲になっていたことを知ったのは、私が中学生の時でした。
私に襲いかかってきたおじさんから直接聞いたのですけれど、あまりショックも受けずに、今思うと異常な世界だったこともあの時は普通の気持ちで受け入れてしまってました。
だって、私が物心ついた頃には、従兄妹はとにかく毎日私を裸にしてキスされたり抱き合っていたり、触られて体中何時間も舐められていることが普通だったからわでした。
10歳年上の従兄妹には私が中学生になっておじさんに抱かれていたところを見られた日まで、舐められたり弄られたり、飲まされていました。
従兄妹はとにかく私が記憶にないくらい幼かった頃から、私の乳首とクリちゃんを、吸いまくっていたみたいでしたし、私の記憶がある頃にはもう普通に毎日吸われて舐められてもいました。
従兄妹は私が痛がってたせいか、膣には入れてこなくていつも私が手でしてあげるか、口に出すのが好きだったようでした。
私が初めておじさんに襲われたのは小5の終わり頃だったと思います。
その頃に初めてブラをつけないといけないくらい胸も膨らんでいましたし、ノーブラではすっかり色も形も衣類の上からでも分かるくらいになっていたのを見て母親に促されてつけるようになりました。
でもその時にはもう、おじさんにバージンは奪われていましたし、乳首もクリちゃんも、小陰唇も大きくしなくちゃいけないからとおじさんに言われてて、とにかく弄られていました。
従兄妹が居ない間はおじさんが。
従兄妹が帰ってきてからは従兄妹から。
小学6年生の時には、普通のスクール水着では乳首もクリちゃんも形がはっきりと分かるくらいになっていて、保健の先生にインナーを着るように言われたことを覚えています。
他の子とは違うことをその時知りました。
オロオロした感じの保健の先生には、こういうこともあることだから気にしちゃだめよって、心配いらないからって何回も励まされていたことで、そんなに私は違うのって自覚しました。
病院に連れて行かれて検査もされました。
水着に着替える時は私だけ保健室での着替えでした。
中学生になっておじさんにいつものようにされているのを、従兄妹に見られてからは、従兄妹は私に手を出さなくなって、家出をしてから、おじさんのお葬式まで何年も会うことがありませんでした。
母は私とおじさんのことは今も知らないままだと思いますし、
父も母とおじさんのことも、私のことも知らないと思います。
私と母は、父が単身赴任を終えて家に帰ってきてからも、関係がしばらく続いていました。
父が帰ってきてからはおじさんの家でとか、自動車の中でとか、外ですることが多くなりました。
高校の卒業式には、私はおじさんの子がお腹にいました。
母にはそのことは告げずにいました。
同じ頃に母もまたおじさんの子を妊娠してたみたいで、産婦人科に行ってたことを私は知ってました。
母は堕したみたいでした。
私は普通の男性と幸せな結婚は出来ないと思ってましたから、おじさんの子を産みました。
今、その子は二十歳の大学生で普通の彼氏もいます。
この子は普通に幸せになってほしいって思ってます。