私は小さい頃はシングルマザーの母と二人暮らしでした。
楽な暮らしではなかったと思います。
市役所の職員が家に来て、母と何度も話し合ったり私に話を聞いてきたりしていました。
「ご飯はちゃんと食べてる?」とか「困ってる事とかない?」とかいつも聞いてきていましたが、私は「きちんと食べてるし、困ってる事もありませんでした」と応えていました。
実際には朝ごはんは食べずに学校に行っていたし、母は夜の仕事をしていて私が学校から帰る頃には家を出てて、私は一人で母が作った晩ごはんを食べていました。
私が小学3年生の時に、オシッコをすると痛みがしたり、オシッコに血が混ざったりした事が有って、母に近くの病院に連れて行かれました。
診察の結果は膀胱炎と言う事で、通院と投薬治療をする事になり、週に2回は病院に通いました。
1回は学校の帰りに病院に寄ってから家に帰り、後の1回は先生が特別に病院が休みの日に診てくれました。
病院が休みの日には、裏口から扉から病院に入り先生が一人で診察してくれてて、看護婦さんも居ませんでした。
なぜ休みの日に診察してくれるのかを聞いたら「美蘭ちゃんの家は母子家庭だから、先生がボランティアで診てるだけだよ」と聞かされた事が有りました。
でも、休みの日の診察は普段の診察とは違いました。
普段は質問に答えたり、オシッコの検査をするだけでしたが、休みの日に下だけ裸になり触診と言う検査をしたり、オシッコの出る所に細い綿棒みたいなのを入れて検査をされてて、その様子を私はじっと見ているだけでした。
半年くらい経過して、オシッコに血は混ざらなくなったし、オシッコをする時の痛みも無くなると病院に行かなくなりました。
治療が終わった訳ではなく、私が勝手に行かなくなっただけでしたが、5年生の夏休みが終わって二学期が始まった頃に、またオシッコをする痛みを感じて、母には内緒で病院に行きました。
病院に行くと看護婦さんは優しく対応してくれて、先生も前と同じように優しかった。
前回の通院の時には「治ったから通院しなくて良いって」と先生に言われたと母には嘘をついていました。
今回の診断結果は前回と同じで膀胱炎でした。
その日の支払いはおこづかいで支払いました。
1週間分の薬が無くなり、今度は病院に行って診断や薬の支払いができないと思い我慢してたら、学校の帰りに先生と偶然に会って、病院は休みの日でしたが先生が診断してくれる事になりました。
裏口から入り診察台に仰向けになり、先生がスカートを捲りショーツを脱がしていきました。
脱がされた脚の間にライトで照らされ、その時には初めて顔にタオル掛けられました。
前の診察の様にオシッコの出る所に棒が入れられるのが分かりました。
でもその後に、軟らかい感じの物が股の間で動くのを感じました。
言い様のない物が上下に動いてて気持ち悪かった印象がありました。
「ちょっと痛いかも知れないけど我慢してね」と先生が言うと、痛みは感じませんでしたが膣の中に何かを入れられたのが分かり、その物は何かは分かりませんでしたが、少し少し中に入ってくるのが感じ取れました。
その時に「治療の経過を資料に残すから写真を撮らせてね」と私の返事を聞く前にカシャ、カシャとカメラで撮る音が聞こえていました。
資料に残すと言う事で診察料は要らないからと言われて、次回からは病院が休みの日の時だけ来てください、と言われました。
言われた通りに私は週一で病院に通いましたが、日に日に診察の時には膣の中の診察の為と言われて棒状の物を中に入れられて、その度に資料と言う事で写真を撮られていました。
6年生になる頃には膀胱炎は治っていたと思いますが「膀胱炎の治療は、治ったと思って治療をやめると再発しやすいんだよ」と言われ、治療費も掛からないなら…と思い通いました。
6年生になり、週一の治療の内容がクリトリスの成長を資料に残したいと言う事で毎回写真を撮られていました。
膣の中の治療も同時にされてて、毎回目隠しをされていたから見えなかったのですが、実際には悪戯されてて「今日は少し大きめの治療器具を使うから我慢してね」と言われて、さんざんクリトリスを触られたりした後に、冷たいヌルヌルした物を塗られて膣の中にも入れられると、ヒヤッとした物が膣の中に広がりました。
その日はいつもと違って足を左右にいっぱい広げられてて、冷たいヌルヌルした物が入ってた膣の中に暖かい太い治療器具が入り口にあてがわれて、ぐいっ、中に入りこれまで以上の太い治療器具が入るのを感じました。
でもその治療器具は暖かくて少し柔らかい感じの物でしたが、奥に入ると今まで以上の痛みが身体を走りました。
と同時に私は痛みで身体をよじると、目隠しをしていたタオルが取れて、その瞬間には私の目の前には先生の身体が有って、下半身の方を見ると先生の身体が私の股の間に密着しているのが目に入りました。
次の瞬間には先生が倒れ混んできて、私の下半身には鋭い痛みが走りました。
先生は私の身体に手をまわすと腰を上下に動かしていました。
上下に動く先生が動くと私の中に入っている物が出入りを繰り返してて、痛みが和らぐ事はありませんでした。
どれくらい経ったか分かりませんが、先生が動くのをやめてくれて痛みは少し無くなり、先生が私から離れてくれたから下腹部の重みも無くなり楽になった。
私から離れた先生の下はズボンもパンツも穿いてなくて、ブラブラした物が赤くなってるのが見えました。
母子家庭で大人の男の人のを見たのは初めでした。
そして、その後も先生との事は続きました。
小学生には到底もらえるはずもない位のおこづかいを貰い、中に出されてもその後には綺麗に洗浄とかもしてもらったので、妊娠の心配も無かったし、先生に対して父親の様な物を重ねていて先生が私に触れてくれたり、頭を撫でてくれたりすると愛情の様な物を感じ取っていました。
でも、セックスをする時には年の差はありましたが、恋人の様にお互いの物を口でしてあげたり、繋がる時には幸せを感じていました。
中学1年の2学期の頃には、いく!と言う感覚を覚えるとセックスが好きになってて、年上のテクニックのある愛撫に私の身体は恥ずかしいくらいに反応してしまい、先生が入って来る頃にはお尻の方まで濡れている事も有りました。
そんな中で、体育祭の代休で母に連れられて満員電車に乗って出掛けた時に、生まれて初めて痴漢にあってしまいました。
中学生にも痴漢したりするんだ?
と思ってたら、お尻を撫で回してからスカートの中のショーツを引っ張る様にしていて下げられると横から手が延びてきて直接割れ目を触ってきました。
母に助けを求めようとしたら、いつの間にか母とは距離が離れ私の回りには男の人達に囲まれていました。
お尻の穴に指が入るのが分かり、足を閉じようとしたら男の人の足が私のふくらはぎの間に入り、足を閉じるのを阻止する様にされていました。
内股に閉じようとしても無駄でした。
お尻の穴には完全に指が入っているのが分かり、前からは割れ目をなぞったり、クリトリスを乱暴に擦りあげたりされて膣の中にも指が入ってきました。
電車の揺れで奥まで入ったり、男の人の指がブルプルとクリトリスを刺激してきてて、私の中からはヌルヌルが涌き上がって濡れていたと思います。
お尻の穴に入っていた指は抜かれて、後ろにいた人が硬くなった物をスカートを捲りお尻の割れ目に押し付けてれのが分かりました。
お尻の穴は嫌だったから必死にもがいたら固い物がお尻の割れ目から離れてくれた。
でも膣の中にまだ指が入ってて刺激を繰り返してて、中で指を曲げて刺激し続けてて大変でした。
でも次の駅が近付いてくると、膣の中の指も抜けてやっと解放された。
電車のスピードが落ちて、前の方にみんなが動いたため少しスペースが空いた隙に下ろされてたショーツを引き上げて元に戻しました。
電車を降りる時に、後ろを振り返るとサラリーマン風の人が指を立ててこちらを見ていました。
たぶんその人の周りにいた男の人達も仲間だったと思いました。
ショーツが中からは漏れだしたヌルヌルで濡れて気持ち悪くて駅のトイレでナプキンをあてて我慢しましたが、母との用事も済んで朝から刺激された私は病院に行って、休憩時間だった先生に甘えて慰めてもらいました。