複数の人と子供のときにして、気持ちよかったとはっきり言える人がいるなんて思いもしませんでした。ここで読んで驚いています、私は男性恐怖症とまではいかないまでも、男性不信になって今でも特定の人と付き合うことが出来ずにいます。
初めての相手は父の弟である叔父。3年生のときでした。父と叔父から悪戯されても抵抗できずにいたらある日、大きなものを股に入れられて痛くてバタバタと抵抗したけど、さらに奥に何かが入ってきて何度も内臓を押し上げられるような感覚に吐きそうになりました。あれが初体験。
その後そのことで両親が離婚。悪戯からも痛いえっちなことからも逃げることができたと思ってました。母が内縁の夫と同棲するまでは。
母の内縁の夫となった養父は、固い仕事をしていました。お酒も飲まずギャンブルもしない、傍からみれば何が楽しいのかと思うほど真面目に見える人でした。見た目はあまりよくないけど、私を一人で育てる母にとっては経済的な援助や、夜勤のときに留守にしなくてすむ養父の存在は大きかったんだと思います。
話がそれてしまってすみません。どうしても母を擁護したい気持ちになってしまいます。本当に母にとっては理想的な、真面目で安心して娘を見てもらえる人だったんだと思います
養父と母が同棲を始めたのは離婚して2年ほど。私が5年生の時でした。同棲が始まって間もなく私は悪戯されるようになりました。初めは養父の大きくなったものを見せられる程度でした。私がお風呂から出てくると、次に入る用意をしていたとパンツ1枚になった養父が脱衣所にいました。パンツは大きく膨らんでいました。
次は全裸。実の父や、養父と違って、先が丸くて大きくて驚いてじっと見てしまいました。
そして母がいない夜。養父は学校の性教育について聞いてきました。恥ずかしいし、叔父や実父とのことがあったので、気持ち悪くて無視をしていたら、AVを見せられました。最近は子供でも妊娠してしまうのだからちゃんと知っておいた方がいいと言って、見せられたAVは恐らくロリータのレイ〇系のものでした
その時3年生での初体験がフラッシュバックしてしまったのでちゃんと見ませんでしたが、養父は私が虐待を受けていたことを知った上でそれを見せたようでした
そして治療だといって快楽を覚えさせてきました。養父が言うにはセックスは痛いものじゃなく気持ちいいものだと体に覚えさせないといけないとのことでした
嫌だと暴れる私を後ろから抱きつくようにして押さえると、割れ目を触ってきました。怖くてまた暴れると今度は耳元で「しーっ。じっとしなさい。暴れないで」と私が暴れなくなるとまたパンツを脱がそうとしてきました。
また私が暴れて……と何度か繰り返すと養父はネクタイで私の手を縛り、足を括りつけました。暴れても暴れても、養父の手から逃れられなくなって泣いているとまた耳元で「目を閉じて、静かにしてみなさい。パパが触るところだけに意識を集中しなさい。いい子だね、可愛いよ」
私は諦めて目をぎゅっと閉じていました。割れ目をなぞる養父の手の動き、乳首をくりくりとコネ回す指、荒い息の音。幼い時の記憶から恐怖で体がカチカチになっていました。
そこから養父の執拗な責めが続きました。割れ目、クリトリス、乳首、アナルを指や舌で延々と責められました。怖くて怖くてどうしようもなく嫌なのに、体は養父の手や舌の動きに合わせるようにビクビクと反応していました
「怖い…こわいよぉ…ゃめてえ」泣きながらそう言うだけで精一杯でした。でも余計に養父は興奮してしまったのか「まん〇気持ちいいんだろ?濡れてヒクヒクさせて……」と卑猥な言葉をあびせてきて、手足を固定されたままの私に挿入してきました
本当に痛かったんです。「いたいぃ!!やめて痛い痛いぃ」て言っても、はぁはぁと荒い息遣いのまま養父は腰を打ちつけてきました。私の倍ほどもある体でのしかかられて、ブチブチと音をたてて腰をふる養父と、3年のときの初めての体験が重なって記憶が飛んでいます
脅迫ともいえる口止めをされました。そして母がいない日は、手足を拘束されました。玄関で、リビングで、私の部屋で、養父と母の部屋でも、家のいたる所で手足を拘束されて、嫌だって言ってるのに無理やりイかされました
怖くて気持ち悪いのにあそこが痺れて熱くなって…無理やりイかされて私が泣き出すと挿入してきました。「熱くてギチギチで楓のコマンは最高だ、初めてもほしかった」と言いながら
養父に突かれて中でイくようになると、もっと容赦なく責めてくるようになりました。挿入されて腰をふるようになってからの方が、悔しくて、怖くて、泣いていました
結局、お尻の最初は養父のものになりました。