父が死んで、貧乏だった我が家は、ある地方に引っ越しました
私が小5、妹が小3の時です。
いきなり、山の中の田舎で、母の知り合いと言う男との同居が始まりました
母は、車で30分ほどのホテルで宴会係を始め、私たち姉妹は、新しい学校生活が始まりました
4・5月は、なにもありませんでしたが、6月のある日、帰宅すると妹も同居の男も姿が見えませんでした。
何気なく、離れの客間を覗いてみると、裸の妹が、男のあれをフェラしていました
「何度言わせるんだ、痛くするな」みたいな事を言いながら、泣いてる妹の口に何度もあれをピストンしています。
私はショックで、その日は、その場を離れてしまいました
後日、そっと妹に聞くと、もう、1ヵ月近く、週に2・3回は、フェラをさせられており
上手く出来ないと、性器に指を入れられ、痛い思いをさせられており、母や私には言うなと脅されていた様子でした
妹は午前授業がまだ有り、6時限の私が帰るまでに、何度も妹は口姦されていたのです。
それから数日後、私が帰宅すると、男が妹を離れに連れ込もうとしている場面に出会いました
ここからは皆さんの想像通りだと思います。
私は妹に代わりました。裸にされ、初めてフェラを体験します。
吐き気に耐え、早く終わる事だけを願っていました。
歯に当たってしまい、上手く出来ないと、性器に指を入れられ、グリグリと拷問されました
処女の私には、本当に痛くツライ拷問でした。
口に出された時は、思わず吐いてしまい、男にビンタをされたのが、とても怖く、
その後はどんな事があっても吐き出さずに飲むようにしました。
7月の夏休みになると、農業の合間を見ては、男は私や妹を呼び、離れで、交代に口姦させます。
昼間に、なにも無い時は、必ず、夜の風呂場で私が相手をさせられました
風呂場では、私の性器に石鹸を付け、スマタのような事をさせられました。
そして、8月のある日、私は処女を奪われました。
身体の中に、硬い物が入り、痛くて仕方ありませんでした。
もちろん、生理も無い子供でしたから、中で出されました。
それからは、妹は時々になり、私は、ほぼ毎日のように犯され続けました。
二学期が始まるころには、痛みは無くなってました。
その頃の子供でも、毎日のように性生活があれば、11歳の誕生日のころには、
胸も膨らみだし、発毛も始まりました。でも、生理は有りませんでした。
5年生の10月に性教育で子供の作り方を教わったときは、自分が子供作りをしていたと知り
とてもショックでした。
毎日、子供が出来ないか不安で、何度も夢を見ました。
そんな事が続いた1月に、母が休みだった為、男は、帰宅途中の私を待ち伏せして
自宅から少し離れた農業の休憩所に連れ込みました。
冬の寒い日に、いつも通りに裸にされ、フェラをさせられ、犯され、中に出されました。
ところが、何を思ったのか、パンツを穿かせてもらえず、そのままで帰宅させられました。
帰宅したところで、私の子宮から精子が流れました。しかも母の前で・・・
あとは、想像通りです。
母にすべてを話し、母は男と別れてくれました。
私たちは、男のおもちゃから解放されました。
残念なのは、その一週間前に妹も処女を失ってました。
まだ9歳でした。