還暦過ぎの女です。
私が小学生の時、家は母子家庭で、母は男性から生活援助を受けていました。
その男性がサドでした。
高台の上の一軒家を世話してくれたけど、それも近所に気兼ねなく母を責めるためではなかったかと思います。
夜に男性が来ている時は、絶対に見に来ないように言われていましたが、男性の笑い声や母の啜り泣き、時には悲鳴など、聞くだけで母が何をされているか恐かったです。
四年生の時に、学校が早く終わりまだ2時ころに家に帰りました。
「ただいま」と言っても、母のいつもの優しい「お帰りなさい」の返事が聞こえず、家に入ると何かいつもと違う嫌な予感がしました。
家の中を母を探して歩くと、棟続きの納屋で母を見つけました。
全裸で両手は後ろに縛られ、梁から足を広げて逆さに吊るされた姿でした。
目隠しをされ、口は何か白い布を押し込れ、さらにその布を吐き出せないように顔に紐を回されて猿ぐつわにされていました。
よく見ると母の上を向いた股間には火のついた太いロウソクが突き刺さっていて、両方の乳首には紐がついた洗濯ハサミが挟まれ、その紐には釣りで使う鉛の重りがぶら下げられていたんです。
母は目隠しされてたけど、声で私が来たのを分かったらしく、しきりにあちらに行ってと言うように顔を横にふっていました。
私は泣きながら母の股間のロウソクを抜き、乳首の洗濯ハサミを外し、それから目隠しと口を押さえていた紐を解きました。
母の口に押し込まれていたのは、私のズロースだとその時に気がつきました。
母は「だめ、早くもとの通りにして。おじさんがすぐに帰ってくるから」と言いましたが、とても私には出来ません。
なんとか母を吊ってる足首の紐を解こうとしてたら、男性が帰ってきました。
母が「早くどこかに行って」と言い、私は裏から外に飛び出しました。
男性はその後、母を解放して一度帰ったんですが、夜にまた来ました。
母の「お願いです」「許してあげて」と泣きながら訴える声がしばらく続きました。
そのあと、裸の母が泣きながら私のいる部屋に入ってきて、私は裸になるように言われ、母から手を引かれて男性のいる部屋に連れていかれました。
そこで母が激しく折檻されるのを見せられました。
私が泣いて男性にしがみついて許しを乞ても突き飛ばされ、あげくに「ちゃんと目を見開いて見なければ、お母ちゃんのまんこと乳を焼くぞ」とろうそくで母の乳首を炙ろうとしました。
この日から、私は男性が母を責める時に、それを見せつけられるようになりました。
長い雑文で申し訳ありません。