父が病気で亡くなった後、母はサディストの愛人が出来ました。多分、経済的な面倒もみてもらっていたのだと思います。私は小学校5年の時から、母を精神的に責めるための道具にされていました。二人のセックスの後に愛人や母の性器を舐めさせられるほか、母が責められる事を嫌がると、母が屈伏するまで私が責められました。 雨の中を裸で庭の木に縛られる。浣腸されて抜けないようにベルトの着いた栓をされる。逆さに吊られてバラ鞭で叩かれる。まだ柔らかくて弱い乳首に洗濯ハサミを挟まれる。テーブルに張り付けられてロウソクを身体中に垂らされる。全て縛られて私のショーツで猿轡をされた母の目の前でされました。私の口も母のショーツが捩じ込まれ、母の塩っぱく酸っぱい味を感じながら痛みと恥ずかしさに耐えさせられました。母と二人で田舎の旅館で恥ずかしいショーの様な出し物に出された子供ありまふ。2年で母は愛人から飽きられて関係が終わりました。今でも母が泣きながら謝ります。