私は普通なら楽しいはずの思春期、学生時代を父親の性奴隷として過ごしました。暴力的な父親は毎日のように母親を殴る蹴るしていました。母親はそんな父親から逃れるために毎日レイプされる私を見てみぬふりしていました。家の中で人権はなく、父親の性欲、ストレス発散のためだけの奴隷でした。
初めて犯されたのは中学1年生の頃でした。私は物心付いたときから毎日父親と一緒にお風呂に入ることを強制されていました。キスされたり体をいじられたりするし、中学入ってからはもう同級生も誰も父親と一緒にお風呂に入ってないと知り、とても嫌でした。だけど、嫌だと言うと殴られ髪を引っ張られ連れていかれるので、おとなしく言うことを聞くしかありませんでした。
その日も同じように父親と一緒にお風呂に入っていました。いつものように父親のちんぽを洗わされているときに、舐めろと言われました。フェラやセックスについて軽い知識はあったので嫌だと言うと、ボコボコに殴られてそのまま口に突っ込まれました。泣きながら早く終われと祈り続けましたが、そのまま処女を奪われました。
この日が地獄の始まりでした。そこからは毎日レイプされる生活が始まりました。いつも父親は仕事でイライラして帰ってきます。そうしたら、私は課題でも家事でも何をしていてもすぐに中断して父親のちんぽをしゃぶらないといけませんでした。そうしてそのまま犯され、夕食や風呂を済ませたらもう一度犯される、という生活が21歳まで続きました。娘が殴られ犯される異常な状況でも母親は父親の機嫌を損ねないように近くで静かに座っていました。
ただまんこを犯される以外にも色んなことをされました。イラマやアナル、精飲やまんこ、アナルに放尿されるなど中学を卒業するまでには全て開発されました。
父親はスカトロも好きらしく、元から無い私の尊厳は完全に破壊されました。父親が名付けたアナル強化月間では、毎日4、5回アナルを掘られ、父親の休憩時間はディルドでアナルをほじられるという拷問のような生活が1ヶ月続きます。しっかり洗浄してもここまですると少しは漏れてちんぽに茶色い汁が付きます。父親はそのちんぽを問答無用で口に突っ込んできます。苦いですが、しっかり綺麗にしないと殴られるので我慢するしかありませんでした。だけど、こんな地獄のようなプレイでもまだ甘い方でした。
アナル強化月間では、風呂場で浣腸や洗浄一切無しでアナルを犯される日がありました。もちろんですが私の下半身はうんちまみれになりますし、父親のちんぽにも茶色い汁程度ではすみません。しっかり茶色の固形物でコーティングされたちんぽになりますが、もちろん父親は容赦なく口に突っ込んできます。なるべくうんちを食べないようにしていると殴られるので、綺麗になるまで全て舐め取らなくてはいけませんでした。喉の奥にもしっかりとうんちを擦り付けられました。恐ろしいことにこれが1回で終わることはなく、綺麗にし終わった途端もう一度アナルに入れられ、茶色い固形物でコーティングされたちんぽを私の顔の前に出してきます。私は心を殺してそれを舐めて綺麗にし、父親はまたアナルを犯して、の無限ループでした。父親の気が済むまで、これを延々と繰り返されました。
反抗すると暴力を振るわれるので、毎日毎日おとなしく耐えました。私が21の時に父親は癌になりこの生活はおわりましたが、今でも傷は癒えません。私は父親を恨みます。