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↑前回の続きです
夏休みが終わると、義父と一緒にお風呂に入っていたことを話した保健室の先生が心配そうに声をかけてきましたが、あの家でされたことは全部黙っていました。秋や冬休みは何事もなく平和にすぎ、同級生の友達とも普通に遊んだりしていたので、学校の先生たちは何も知らないまま。ただ、相変わらず義父の性処理は、手や口でしていました。
S6年生になる春休みになると、周りの子もほとんどがブラを着けていたので、体操服から透ける恥ずかしさは少なくなりました。でも、やっぱり大きさは段違いで、体つきもかなり大人っぽくなっていました。毎日お風呂場の鏡を見るたび、「やだな……」と思っていたのを覚えています。
そんなある日の夜、いつものように性処理をするよう義父に言われ、手や口でしていると、突然興奮した義父が私を押し倒しました。いままでそんなことはなかったのでびっくりしていると、義父は私のパンツを脱がせて、勢いよく挿入してきました。
「いや!やめて!」
叔父たちには何度も犯されていたのに、義父にはされたくないという気持ちがどこかにありました。手や口でするのはいいけど、どこかその一線は自分の中であったのかもしれません。
必死に抵抗しましたが、S6年生が大人の男に力でかなうはずもなく。義父のギンギンのおちんちんは私の膣内をかきわけ、子宮口にまで届きました。実際、初老の叔父たちより、義父のほうが若く、おちんちんも固く大きかったです。
「いやー!いやー!」
とずっと叫んでいたので、義父は私の口を手で塞ぎ、ここ1年でどんどん膨らんだおっぱいを貪るように吸ってきました。クラスの他の女の子たちは、ようやくぷっくりバストの形になってきた子が多い中、私だけ大人と変わらないくらいしっかり膨らんでいたおっぱい。思春期の私にとってはコンプレックス以外のなにものでもなかったので、そこを義父の性欲がぶつけられるのはとてもイヤでした。
そのうち、義父の腰使いが荒々しくなり、ズンズン子宮口を突かれる痛みに意識がボヤっとしてきました。
「う!い!」
という唸り声に近い声を私があげていると…
「うっ……おぉ……」
という声をあげて、義父の腰の動きが止まりました。同時に、私の膣内で義父のおちんちんがビクンビクンと動き…。
義父は子宮口にドピュ!ビュ!と射精していました。私にとって、初めての中出しです。精液を出されている感覚はわかりませんが、射精は何度も目の当たりにしていたので、中のおちんちんの動きですぐに察しました。
ヌチョ…という音でおちんちんが引き抜かれ、ぐったりする私を尻目に、義父はティッシュでおちんちんを拭いて、服を着て、そのまま寝てしまいました。
しばらくして、少し動けるようになってからおまんこを確認すると、白い液体と一緒に血が少しにじんでいました。血が出たのは去年の処女喪失依頼だったので、びっくりしましたが、それだけ義父のおちんちんは私のS6おまんこにとって大きかったのだと思います。
その後は性処理だけで済む日もありましたが、義父は何度も襲い掛かってきました。私を犯しているときの義父の目は、私を見ているようで見ていないような。まるで、犯すこと以外なにも考えていないような顔でした。
ある日、同じように無理矢理犯され、中に出されぐったりしていると、インターホンが鳴りました。結論から言うと、扉の向こうにいたのは警察菅で、義父は私への強姦で即逮捕されました。私が義父にレイプされているとき、毎回声をあげて抵抗していたので、不審に思った近所の人が通報したみたいです。
私は病院に運ばれ、色んな検査を受けた後、少しの間入院して、いろんなケアを継続的に受けることになりました。後から、私の処女を奪った叔父たちも捕まったことを知りました。
学校のみんなには病気で体調が悪くなったと伝わり、保健室の先生は一番優しくしてくれました。ただ、私自身は周りの人の反応のほうに戸惑いや不安を感じることもあって、できれば特別扱いしないで欲しいのが正直な気持ちだったので、平気で気にしてない様子を演じることが多かったです。
実母も亡くなっていて、他に親戚もいなかったので、一旦施設に預けられましたが、クラスで仲のよかった子が比較的裕福なおうちの子で、その子のお家に引き取られることになりました。
小学生の間はそれ以上何も起こりませんでした。